かぶきのおはなし  
  108.音羽屋  
 
市川団十郎家と並ぶ江戸歌舞伎の名門、尾上菊五郎家のことについて触れたいと思います。

この家系は、もともとは京都の出身で、屋号は「音羽屋(おとわや)」と言います。これは初世尾上菊五郎(1717−1783)が京都・都万太夫座の出方(劇場で木戸から入る客を席に案内し飲食物等の世話をする役)音羽屋半平の子供であるからだとか、京都清水寺の「音羽の滝」からとったとか諸説あるようです。

さて、この初世が大坂公演で2世市川団十郎に認められ、江戸へ下って(当時は、下りです)以来、江戸に住み付いた訳ですが、尾上菊五郎の名前を高からしめたのは、何といっても5世尾上菊五郎(1844−1903)と6世尾上菊五郎(1885−1949)の二人です。

5世は幕末・明治にかけて「団菊左」(9世市川団十郎、5世尾上菊五郎、初世市川左団次)と呼ばれ、6世は戦前まで「菊吉」(6世尾上菊五郎、初世中村吉右衛門)と呼ばれ、いずれも一世を風靡した名優でした。

市川家の「歌舞伎十八番」に倣って、尾上家の家の芸として「新古演劇十種」を定めたのが5世ですし、「散切り物(ざんぎりもの)」と呼ばれる(散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする、と詠まれた散切りです)明治の新しい社会・風俗を描こうとしたのも5世です。

しかし私は、皮肉にも「新古演劇十種」の中には入っておりませんが、最も尾上菊五郎家に相応しいお芝居は「弁天小僧」(正式な外題は「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」だと思っています。

「弁天小僧」は、白浪作者といわれたあの河竹黙阿弥が、わざわざ5世尾上菊五郎の為に書き下ろした作品で、現在の7世尾上菊五郎も最も得意とする役です。

 
 
「青砥稿花紅彩画」の筋書きは知らなくても、「弁天小僧」という名前だけは誰でも知っています。女に化けて詐欺を働いた「弁天小僧」が、男と見破られた時の「知らざあ言って聞かせやしょう---」と言う浜松屋の場でのあの痛快なせりふは、あまりにも有名です。

河竹黙阿弥は、この「知らざあ言って聞かせやしょう----」という七五調の美しいせりふの中で、5世尾上菊五郎の為に洒落た工夫をしました。
音羽屋
 
  「---- ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた音羽屋の、似ぬ声色(こわいろ)で小ゆすりかたり、名さえ由縁(ゆかり)の、弁天小僧菊之助たぁ、俺がことだ。」

「寺島」というのは、尾上菊五郎の本名です。「音羽屋」は屋号ですし、「菊之助」は、菊五郎を襲名する前の名前です。遊び心とでも言うのでしょうか、お芝居って楽しいですね。

 
   
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