126.楽屋落ち | ||||||
演劇界の人々、つまり楽屋内の人々だけに通用する洒落(しゃれ)やゴシップ、軽口などを舞台や高座(こうざ)などの本番で、役者(噺家)がせりふとして喋る(口にする)ことを「楽屋落ち(がくやおち)」と言います。 この「楽屋落ち」で最も有名なせりふが「東海道四谷怪談」の中にありますので、ご紹介します。第3幕「砂村隠亡堀(すなむらおんぼうぼり)の場」での民谷伊右衛門と直助権兵衛のせりふがそうです。伊右衛門が、伊藤家の後家お弓に伊藤喜兵衛とお梅を殺したのが自分だと知られ、お弓を隠亡堀に蹴落として殺した後のせりふです。 |
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この「東海道四谷怪談」の初演は、文政8年(1825)中村座ですが、その時の配役は、お岩が3世尾上菊五郎(1784−1849)、民谷伊右衛門が7世市川団十郎(1791−1859)、直助権兵衛が5世松本幸四郎(1764−1838)です。 この中で一番若い7世市川団十郎が、伊右衛門の強悪ぶりを演ずるにあたって、 先輩格の5世松本幸四郎が本領とする実悪の演技を見よう見真似で演じている ---- 「おぬしが仕草を見習ったのよ」 ---- と言っている訳です。 「120.面明かり」の項で述べましたが、5世松本幸四郎の当り役はあの極悪非道の"仁木弾正(にっきだんじょう)"です。悪役の演技に凄みを発揮した役者だったようです。 15世市村羽左衛門(いちむらうざえもん)が民谷伊右衛門で、6世尾上菊五郎が直助権兵衛の時には、羽左衛門(伊右衛門)は「てめえの親爺に仕込まれたのよ」と言っていたそうです。5世尾上菊五郎もやはり悪役が得意だったからです。 こうした「楽屋落ち」のせりふは、現代人の私達には意味が分からなくても当然ではありますが、知っていればそれだけ芝居が楽しく見られます。江戸時代の観客には多分意味が分かり、喜ばれたのだろうと思っています。 |
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