かぶきのおはなし  
  125.不忠臣蔵  
 
前項でも触れましたが「東海道四谷怪談」は、当時の三面記事と仮名手本忠臣蔵の世界を巧みに絡ませたもので、忠臣蔵の裏番組とも言える作品です。そして登場する主人公、民谷伊右衛門が仇討ちどころか敵である高師直家に仕官したいが為、高師直の家来である伊藤喜兵衛の孫娘お梅と祝言を挙げるという所業に及ぶということで「不(ふ)忠臣蔵」とも呼ばれているお芝居なのです。

粗筋はこうです。

塩冶の家臣"四谷左門"には、"お岩"、"お袖"という二人の美しい娘がいましたが、お岩は"民谷伊右衛門"、お袖は"佐藤与茂七"と結婚しました。ところが伊右衛門が塩冶家の公金を横領したことを知った左門は、お岩と伊右衛門を離縁させてしまいます。

塩冶家が断絶になって一家は浪人、左門は物乞い、お岩は夜鷹、お袖も売春宿の女になります。伊右衛門は左門にお岩との復縁を迫り、拒絶されると左門を殺してしまいます。一方、お袖に横恋慕する"直助権兵衛"は、お袖の夫"佐藤与茂七"と間違えて元主人の"奥田庄三郎"を殺してしまいます。

伊右衛門と直助はお岩・お袖の姉妹に父と夫の仇討ちを手伝うと約束し、伊右衛門とお岩は復縁し、直助とお袖は夫婦になります。このときお袖は、夫佐藤与茂七が殺されたと思い込んでいる訳です。

 
 
四谷雑司ケ谷の伊右衛門宅で子供を産んだお岩は、産後の体が思わしくなく病に伏せています。隣家の"伊藤喜兵衛"は、孫娘"お梅"が伊右衛門に惚れているのを見て、伊右衛門を高師直に仕官させる約束でお梅と夫婦の約束をさせます。そこで邪魔になったお岩を殺す為、毒薬をお岩に飲ませます。

お岩は毒薬を飲むと、顔が醜く腫れ上がり、髪の毛がごっそり抜けて世にも恐ろしい形相になります。そして伊藤家と伊右衛門を呪いながら息絶えます。一方、伊右衛門はソウキセイという民谷家の秘薬を盗んだ"小仏小平"を殺し、二人の死体を戸板の表裏に釘で打ちつけて川に流します。
不忠臣蔵
 
  伊右衛門はお梅と祝言を挙げて床入りしますが、お岩の死霊に祟られ、あやまってお梅と喜兵衛を殺してしまいます。

砂村隠亡堀の場。非人になった"お弓"は、自分の父伊藤喜兵衛と娘お梅を殺したのが民谷伊右衛門だと知ったが為に、伊右衛門に隠亡堀に蹴落とされて死にます。お梅の乳母"お槙"も鼠に隠亡堀に引き込まれて非業に死にます。伊右衛門が釣りをしているとお岩・小平の死体が表裏に打ちつけられた戸板が流れて来て、伊右衛門に怨みを述べますが、伊右衛門がこれに斬りつけると小平の死体は白骨になります。

お袖はお岩の死を知らされ、仇討ちの助力を期待して心ならずも直助に肌を許します。そこへ死んだと思った佐藤与茂七が現われ、二人の男と夫婦の契りを結んだことを恥じてわざと二人に斬られて死にます。直助も実はお袖とは兄妹であったことを知って自殺します。

母親"お熊"の手で蛇山(へびやま)の庵室に逃れた伊右衛門ですが、お岩の亡霊に日夜苦しめられています。お熊は、お岩の亡霊に喉を食いちぎられて死に、伊右衛門の父親"源四郎"も首を括って死にます。伊右衛門の悪仲間"秋山長兵衛"は、お岩の亡霊に首を縊られて死にます。そして最後に、伊右衛門が佐藤与茂七に斬られて死ぬのです。

私は「東海道四谷怪談」が、鶴屋南北の傑作として人気が高い理由は次の3点にあると思っています。

1. 江戸の風物や底辺をしたたかに生きる人間が、リアルな筆致で余すところなく存分に描かれて新鮮であること、
2. 他に例を見ないほどの迫力でもって、人間の怨念の凄まじさが描かれていること、
3. 「戸板返し(といたがえし)」やお岩の「髪梳き(かみすき)」の場面など、大道具・小道具の仕掛けが独創的で面白いこと、です。

皆さんも機会があったら是非この「東海道四谷怪談」をご覧になることをお勧めします。

 
   
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