かぶきのおはなし  
  110.二八蕎麦  
 

天保の頃といいますから、江戸時代も末期ですが江戸には「二八蕎麦(にはちそば)屋」という蕎麦屋が沢山あったようです。歌舞伎でもよくこの「二八蕎麦屋」が登場しますが、屋台であったり、一応店構えをした蕎麦屋であったりします。

2x8=16ですから、「二八蕎麦」というのは、カケ蕎麦でもモリ蕎麦でも一杯の値段が、16文の安蕎麦のことを言うのです。(現代のお金にして、320円程度です。)また蕎麦粉8に対して、うどん粉2の割合で打った蕎麦のことも「二八蕎麦」と言うようです。

二八蕎麦
 
 
河竹黙阿弥の作品の中で「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」という作品がありますが、前半部分を特に「河内山(こうちやま)」、後半部分を「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)」と呼びます。

「雪暮夜入谷畦道」は、もっと縮めて「直侍(なおざむらい)」とも呼びますが、主人公である"片岡直次郎(かたおかなおじろう)"のことを「直侍」と呼ぶからです。

さて、この「直侍」が入谷田んぼの畦道(台東区入谷、JR鴬谷駅近くですが、当時は町はずれの寂しい所だったようです)にある「二八蕎麦屋」でカケ蕎麦を食べる場面があります。直侍役者が、舞台の上で本当の蕎麦を食べるのです。

「直侍」というキャラクターは、何といっても幕府御家人の端くれです。今はお尋ね者(指名手配)の身ですが、ちゃきちゃきの江戸っ子です。顔は白塗り、頬被りをして尻端折り(しりはしょり)の格好で、うっすらと雪の載った傘をさして登場する「直侍」はなるほど美男子です。肝っ玉の小さい小悪党ですが、なかなか良い男振りで玄人筋にもよくもてるのです。そんな「直侍」ですから、蕎麦の食べ方も江戸っ子らしく粋で上手いのです。

隣りで、"丈賀(じょうが)"という名の按摩がやはり蕎麦を食べていますが、こちらは食べ方が野暮ったいのです。口でクチャクチャ噛んで、汁をイッパイつけて食べるのです。要するにダサイのです。丈賀役者は「直侍」の蕎麦の食べ方の格好よい所を引き立たせる為にも、わざと野暮ったく食べるのです。

一方の「直侍」ですが、江戸っ子らしく汁はあまり付けません。箸でさっと 蕎麦をすくって、さっと汁を付けます。ツツツッと音を立てて、まるで飲み込むように蕎麦を口の中にかき込むのです。直侍役者の腕の見せ所です。

1等席でも舞台に近いところに座って「直侍」が美味そうに蕎麦を食べている所を見ていますと、茹で釜からのぼる湯気に混じって、ダシの香りが匂ってくるのです。芝居が跳ねたら、蕎麦でも食べようかと思いたくなるほど、食欲の刺激されるいい場面です。

 
   
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