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宝永 |
2 |
1705 |
近松門左衛門、京都から大坂へ移住し、竹本座の座付作者となる。これより人形浄瑠璃の全盛時代。 |
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正徳 |
3 |
1713 |
2世市川団十郎、「助六由縁江戸桜」を初演。 |
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4 |
1714 |
江島生島事件。江島は信州高遠に流罪、生島新五郎は三宅島に島流し。山村座は取り潰しとなり、以後江戸三座となる。
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5 |
1715 |
「国性爺合戦」(近松門左衛門) |
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享保 |
1 |
1716 |
曾我狂言を吉例とする慣習はじまる。 |
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3 |
1718 |
2世市川団十郎により「外郎売」が初演される。早口言葉を主とする長ぜりふが話題となる。 |
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4 |
1719 |
「平家女護島」(近松門左衛門) |
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5 |
1720 |
「心中天網島」(近松門左衛門) |
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5 |
1720 |
町奉行大岡越前守忠相の命令で江戸町火消し、いろは48組が設置される。 |
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6 |
1721 |
2世市川団十郎、初めて千両役者となる。 |
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19 |
1734 |
森田座の休業を契機に控櫓の制度が出来る。都座(中村座)、桐座(市村座)、河原崎座(森田座)が控櫓になる。
この頃より花道が劇場に常設されるようになる。 |
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元文 |
1 |
1736 |
初世宮古路豊後掾が江戸に下向。豊後節の大流行。やがて扇情的な曲節が幕府の禁忌に触れて禁止されるが、その系統から常磐津節、富本節、清元節が生まれる。
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寛保 |
2 |
1742 |
2世市川団十郎、大坂で「雷神不動北山桜」を初演。今日の「鳴神」「不動」「毛抜」のオリジナル。 |
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延享 |
2 |
1745 |
「夏祭浪花化鑑」大坂竹本座で初演。並木千柳、三好松洛、竹田小出雲の合作。 |
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3 |
1746 |
大坂竹本座で人形浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」を初演。竹田出雲、並木千柳、三好松洛、竹田小出雲の合作。 |
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4 |
1747 |
大坂竹本座で人形浄瑠璃「義経千本桜」を初演。2世竹田出雲、並木千柳、三好松洛の合作。 |
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4 |
1747 |
連続押し込み強盗・日本左衛門、処刑される。
我国初の全国指名手配(人相書き配布)事件。「青砥稿花紅彩画」 |
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4 |
1747 |
初世常磐津文字太夫が常磐津節を始める。 |
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