かぶきの歴史  
   
  1.歌舞伎の発祥  
 
慶長 8 1603 出雲のお国、京都北野神社の境内や五条河原で小屋がけし、歌舞伎踊りを始める。歌舞伎の始まり。
  14 1609 金1両=銀50匁=銭4000文と定める。(公定相場)
寛永 1 1624 猿若勘三郎が江戸中橋(日本橋三丁目付近)に猿若座の櫓をあげる(のちの中村座)。歌舞伎劇場のはじまり。
  6 1629 女(遊女)歌舞伎の禁止。
  11 1634 伊賀越えの仇討ち。渡辺数馬、荒木又右衛門の助太刀を得て河合又五郎を伊賀上野・鍵屋の辻で討つ。「伊賀越道中双六」
  13 1636 浅草と芝に銭座を置き、寛永通宝を新鋳。
  18 1641 大名火消しの制度が整う。16家を4組に編成。
「盲長屋梅加賀鳶」
慶安 4 1651 慶安事件。由比正雪らの幕府転覆計画失敗。「慶安太平記」
承応 1 1652 若衆歌舞伎の禁止。
  1 1652 旗本奴、町奴の流行。
  2 1653 若衆のシンボルである前髪を剃り落として野郎頭になること、物真似狂言尽(ものまねきょうげんづくし)に徹することを条件に歌舞伎興行の再開が許可される。以後を野郎歌舞伎と称し、売色的要素を廃し演劇としての本道を歩む。
明暦 3 1657 明暦の大火。江戸城本丸・天守閣を始め市街の大部分を焼く。焼失町数四百町、死者十万余人。本郷丸山町の本妙寺で施餓鬼に焼いた振袖が空に舞いあがったのが原因で俗に振袖火事と呼ばれる。火災後、新吉原遊郭建設。本所に回向院建立。
  3 1657 幡随院長兵衛、水野十郎左衛門に謀殺される。「極付幡随院長兵衛」
万治 3 1660 森田太郎兵衛が木挽町(現在の東銀座付近)に森田座創設。
  3 1660 佐倉藩主・堀田正信、改易となる。「佐倉義民伝」
寛文 1 1661 この頃より立役、敵役などの役柄が次第に確立する。また「続き狂言」が成立し、これまでの風俗スケッチ的寸劇から一定のストーリーを持った演劇へと進化を遂げる。引幕が考案され、劇の進行に時間的な飛躍を表現することを可能にした。


 
   
 
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