165.両替商 | |||||||||||||||||||||||||
江戸に「三貨」が流通していたとすれば、当然にしてそれを両替する必要が生じます。両替を業として営む者が両替商ですが、大きく分けて2種類あったようです。 主として「金貨」、「銀貨」の大口の両替を営むのが「本両替(ほんりょうがえ)」です。「本両替」はまた、幕府公金の出納業務を扱い、現在の銀行のように預金や為替業務あるいは貸付業務も行っていました。江戸中心部に店を構え、その数は江戸中期で20業者前後だったといわれています。今でいえば大手の都市銀行といったところでしょうか。 |
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さて問題は、「三貨」の交換レートですが、これは非常に難しい問題のようです。というのは、江戸時代を通じて貨幣の改鋳(かいちゅう)が頻繁に行われたことと、金相場と銀相場が必ずしも一定でなかったことによるものです。現代の外国為替相場のように、変動相場制だったというのが、本当のところです。 それでも幕府は固定相場を維持しようと努めていたようで、公定相場として、以下のように交換レートを定めていました。 慶長14年(1609) 金1両=銀50匁=銭4000文 元禄13年(1700) 金1両=銀60匁=銭4000文 天保13年(1842) 金1両=銀60匁=銭6500文 「銀貨」については重さが価値を決めるものですが、江戸中期以降の「一分銀」などのように計数表示のある「銀貨」は、「金貨」と同様に、「小判」1枚が「一分銀」4枚と等価ということになります。 元禄13年(1700)の公定相場(すべて等価)
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