かぶきのおはなし  
  162.丹前  
  歌舞伎の演技用語に「丹前(たんぜん)」というものがあります。(「丹前六法」とも呼びます)。「六法」と同じく「歩く芸」のことです。しかし実際にこの「丹前」が見られるのは、現在では多分「鞘当(さやあて)」というお芝居だけで、しかも出端(では)の一瞬だけなので、大概の人は見逃してしまいます。

「丹前」というのは、江戸時代初期の頃、神田にあったという「丹前風呂」(風俗営業の風呂屋)の湯女(ゆな)を目当てに通う男たちの、独特の歩き方を様式化したものです。神田にあったという堀丹後守(ほりたんごのかみ)の屋敷前の風呂屋が特に有名で、これが「丹前」の名前の由来にもなっている訳です。

「六法」との違いですが、「六法」が現在では花道を引っ込むときの「歩く芸」であるのに対して、「丹前」は花道からの出のときの「歩く芸」だというところです。風呂屋へ通う伊達風俗のかぶき者が気取って歩く歩き方といっても、さて言葉で表現するのは難しく、実際にそれも良く注視して「鞘当」を見ないことには分からないのが残念です。

「鞘当」は、4世鶴屋南北(1755−1829)の「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」というお芝居の一部を独立させて出来た作品で、「丹前」という歩く芸と、話す芸を見せるお芝居です。
 
 


丹前

筋書きは馬鹿馬鹿しいくらい単純で、“不破伴左衛門(ふわばんざえもん)”と“名古屋山三元春(なごやさんざもとはる)”という二人の武士が、江戸吉原仲之町で擦れ違う時に、刀の鞘が当たって喧嘩になり、茶屋の女が留めに入るという、それだけのものです。

それが、何故に人気狂言として「鞘当」という一幕物にまでなったのかというと、桜花爛漫たる吉原仲之町を舞台に展開する二人の伊達男の絵画的な美しさでしょう。“不破”の扮装(いでたち)は、富士編笠を被り、腰に大小を差し、黒地に雲と稲妻の衣装です。一方の“山三”は、縹色(はなだいろ、薄い藍色)地に雨と濡れ燕という衣装です。いわゆる寛闊出立(かんかついでたち、派手でゆったりとした豊かな感じの恰好)という伊達風俗なのです。
 
 
“不破”は、揚幕から登場します。“山三”は仮花道からの登場です。「丹前六法」を使っての二人の出で「鞘当」は始まります。

 
   
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