かぶきのおはなし  
  155.加賀鳶(かがとび)  
 
明暦3年(1657)に起きた江戸の大火事(明暦の大火)は、死者10万人を超えるといわれ、江戸城本丸までが焼失したそうですが、江戸時代を通じて幾度となく大火事は発生しており、消防は為政者(いせいしゃ)にとって最大の政治課題の一つだったようです。

一旦、火事が発生してしまうと木造家屋が中心の江戸の町は延焼が早く、現代のような消防設備のない時代のことですから、消防というより延焼を食い止める為に防火線上にあたる家を取り壊して鎮火を待つという消極的なものでしたが、この破壊工作には鳶口(とびぐち)を持った火消しが活躍したようです。

よく「火事と喧嘩は江戸の花」と言います。何で「火事」が「花」なのか、私などは不謹慎極まりない言葉のようにも思うのですが、間違えば死に至ることもある修羅場で鳶口を持って火と戦う火消しの姿が、見得っぱりの江戸ッ子にはカッコ良く映(うつ)ったのでしょうか。

ところで、江戸の火消しは大きく分けて「大名火消し」、「定(じょう)火消し」と「町火消し」の3グループあったようです。

「大名火消し」というのは、江戸詰めの大名が自藩邸の消火の為に専属に抱えた火消しのことで、守備範囲は藩の屋敷と江戸城付近です。「大名火消し」で最も有名なのが、加賀100万石前田藩の「加賀鳶(かがとび)」で今の東京大学のある本郷に本拠を構え、華麗でいなせな装束で知られ、歌舞伎の「盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)」にも登場します。

次に「定火消し」というのは、旗本お抱えの火消しのことで、火消し役の下に与力(よりき)6人、同心30人、臥煙(がえん、火消し人足のこと)100人を1組として組織されていたそうです。全部で10組あって火消し役が10人いたことから「十人火消し」とも言います。

最後は「町火消し」ですが、町奉行大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)の命令で享保年間(1720頃)に設置されたということです。全部で48組あったそうですが、「い組」、「ろ組」などイロハ44組(イロハ仮名47の内「へ」、「ひ」、「ら」が無い)に「本組」、「百組」、「千組」、「万組」の4組を加えた48組です。この48組をさらに1番から10番までの10グループに編成し(これを大組と呼ぶそうです)江戸の町の分担を決めて消火にあたったということです。「町火消し」で有名なのが、「め組」です。「め組」は大組では2番組に所属し、芝増上寺、神明町、芝浜松町付近が担当だったようです。歌舞伎では「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」で「め組」が登場します。

紛糾した事態を解決することを「火消し」と言うことがありますが、この「火消し」たちは、単に火事の際の消火に当たるだけでなく、町内で揉(も)め事が起きた場合の仲裁役も務めていたようです。

 
 
また「火消し」のことを「鳶(とび)の者」とも呼びますが、これは消火時に使う鳶口(とびぐち、棒の先端に鳶のくちばしのような鉄製の鉤のようなものを付けたもの)を携帯しているからです。

なお、当然?のことながら「火消し」は気が荒く喧嘩っ早いのが特徴?で、歌舞伎に「火消し」が登場する場合は、たいがい喧嘩が見世物になっています。「盲長屋梅加賀鳶」では「大名火消し」である"加賀鳶"と「町火消し」の喧嘩、「神明恵和合取組」では、「町火消し」である"め組"と角力取り(すもうとり)の喧嘩といった具合です。
加賀鳶
 
   
back おはなしメニュー next