かぶきのおはなし  
  154.鈴ケ森  
 
「鈴ケ森」といえば、江戸時代の東海道筋、罪人の処刑場として有名なところです。現在の地名でいえば、品川区南大井2丁目付近です。近くは品川の海でした。

歌舞伎ではまた、あの侠客"幡随院長兵衛"と"白井権八(しらいごんぱち)"の出会いの場所として有名です。4世鶴屋南北の「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」でも、先にご紹介した「幡随長兵衛精進俎板(ばんずいちょうべえしょうじんまないた)」でもこの「鈴ケ森」の出会いの場面があります。

白井権八がその見事な剣さばきで、自分に言いがかりをつけようとした雲助ども十数人を切り捨てるのですが、それを籠の中からじっと見ていた幡随院長兵衛が、立ち去ろうとする白井権八を呼びとめるせりふは歌舞伎を見たことのない人でもよくご存知でしょう。

幡随院長兵衛「お若(わけ)えの、お待ちなせえやし」
白井権八「待てとお止めなされしは、拙者(せっしゃ)がことでござるかな」

この場面の白井権八は、顔は白塗り、鶸色(ひわいろ、黄色が勝った萌葱色)の着付けに○に井の字の紋、鮮やかな紅絹(もみ)の脚絆(きゃはん)に前髪の鬘(かつら)という典型的な若衆の扮装(いでたち)です。何ともみずみずしくも艶めかしい美しさです。年の頃わずか14か15歳という美剣士なのです。

一方の幡随院長兵衛は、町奴の頭領としての貫禄十分な派手なこしらえで、これもまた典型的な座頭格の役どころです。

この「鈴ケ森」は、筋書きとしては両者が出会い、この時すでにお尋ね者として指名手配になっていた白井権八を幡随院長兵衛が江戸で匿う約束をする、ただそれだけですが美貌の若手花形役者と一座の立役者の美しい絵姿を並べて見せるという、いかにも歌舞伎らしい場面として人気のあるところです。

 
 
幡随院長兵衛が、「お若え方の御手のうち、あまり見事と感心いたし、思わず見とれておりやした」と、白井権八の剣の腕を褒めると、「雉(きじ)も鳴かずば 討(う)たれまいに、益なき殺生(せっしょう)いたしてござる----。」と権八がやや誇らしげに幡随院長兵衛に向かっていうせりふがありますが、若者らしい気負いが感じられる良い場面です。口伝によれば、この権八のせりふは、少し照れながら、顔を傾け、手をはたきながら言うのが約束だそうです。
鈴ケ森
 
 
なお白井権八がいう「雉も鳴かずば・・・」のせりふの原点は、能「長柄」で最 初に言い出したばっかりに人柱にされた老人の娘がいう「物いえば長柄の橋の橋柱  鳴かずば雉も射られましやは・・・」から来ています。

歌舞伎での白井権八は腕が立つだけでなく、吉原三浦屋の遊女"小紫(こむらさき)"と恋仲になるといういわば美しきヒーローとして描かれているのですが、モデルとされる実録の"平井権八"(〜1679)は、鳥取藩士だったのが人を殺してから江戸へ出奔し、江戸では馴染みの遊女"小紫"との遊びの金を手にいれる為、辻斬り130名余に及び、最後は品川で獄門にかかったといわれる大悪人です。

また歌舞伎では白井権八が幡随院長兵衛の食客になっていますが、両人が生きた年代から見てこれはありえないことです。歌舞伎の作り事です。

次いでながら、今でも目黒不動前には、"権八"と"小紫"の比翼塚が残っているそうです。

 
   
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