かぶきのおはなし  
  153.幡随院長兵衛  
 
「旗本奴」は、旗本を中心に組織された無頼集団ですが、町人で組織されたヤクザ集団が「町奴(まちやっこ)」で、その町奴の頭領として名高いのが"幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)"です。

この幡随院長兵衛ですが、やはり実在の人物で本名を塚本伊太郎(1622?−1657)と言い、肥前唐津藩(佐賀県です)の武士の子だということです。この伊太郎が江戸へ出て花川戸(はなかわど)に住み、幡随院長兵衛と名乗って「口入れ稼業」を営むかたわら、3千人の子分を抱える「町奴」の頭領として君臨していましたが、対立する「旗本奴」の首領である水野十郎左衛門(みずのじゅうろうざえもん)に殺されたという人物です。

幡随院(ばんずいいん)というのは、お寺の名前で伊太郎が江戸へ出た当初住んでいた下谷神吉町の長屋の前に建っていたそうですが、現在は小金井市に移転しています。幡随院前の長屋に住んでいたので幡随院長兵衛と名乗ったということです。

また「口入れ稼業」というのは、大名や旗本などに奉公人を斡旋する仕事ですが、現代で言えば、私設の職業安定所と人材派遣業を兼ねたような存在だと思えば大体正解でしょう。

 
 
幡随院長兵衛 さてこの幡随院長兵衛ですが、水野十郎左衛門に謀殺されたことから庶民の英雄的存在となり、侠客中の侠客として多くの伝説を生み、歌舞伎や講談の主人公として語り継がれることとなりました。
しかし不幸な死に方をすると神様にもなれる日本のことですから、本当のところは鼻つまみの、単なるヤクザの親分という程度に過ぎなかったのではないかと思っています。
 
 
歌舞伎では、「幡随院長兵衛精進俎板(ばんずいちょうべえしょうじんまないや)」や「極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)」などが有名です。 (歌舞伎では、幡随院と書いてバンズイと発音することが多いようです)

そして歌舞伎の中でも「町奴」と「旗本奴」は常に仲が悪く、対立する存在で、前者のボスが幡随院長兵衛、後者のボスが水野十郎左衛門ということになっています。

 
   
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