かぶきのおはなし  
  152.旗本奴  
 
徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府が開かれたのは、慶長8年(1603)のことですが、2代将軍秀忠を経て、3代将軍家光の頃になると徳川幕府は安定期に入り、徳川家に反旗を翻(ひるがえ)す者はもういなくなりました。これから明治維新まで、200年以上も戦争のない平和な時代が続きます。

戦争がなくなると、武士は無用の長物となっていくのは自然の成り行きですが、そうなると武士の間に不平不満が蓄積していくのもこれまた自然の成り行きです。

 
 
徳川家直属の家来を旗本(はたもと)と呼ぶのですが、この旗本でも直接将軍に謁見(えっけん)する資格(御目見、おめみえと言います)のない者を御家人(ごけにん)と呼びます。このクラスの武士にとっては、ただ決められた俸禄(ほうろく、給料のことです)を受けるだけで何の役職にもつけません。サラリーマンで言えば窓際族の生活を送っているだけで出世の機会は永遠にありません。それでもまだ家督(かとく)を継げる長男ならまだしも、次男以下になると、長男が貰ったサラリーのおこぼれを頂戴して生きていくだけのやっかい者になってしまいます。 旗本奴
 
 
世に受け入れられないこうした不平分子が徒党(ととう)を組み、乱暴・狼藉(ろうぜき)を働く無頼(ぶらい)の集団になっていく訳ですが、これが水野十郎左衛門(みずのじゅうろうざえもん)に代表される「旗本奴(はたもとやっこ)」です。男伊達(おとこだて)を競い、喧嘩(けんか)と博打(ばくち)に明け暮れ、江戸市中を我が物顔で横行する「旗本奴」は、それでも身分が旗本であるだけに庶民からみれば全くもって迷惑な存在だったようです。

水野十郎左衛門が組織した「旗本奴」は、「大小神祇組(だいしょうじんぎぐみ)」と呼ぶのですが、この他に「白柄組(しらつかぐみ)」や「六法組」と呼ばれる組織もあったそうです。

歌舞伎に登場する「旗本奴」は「白柄組」と名乗っている場合が多いようです。岡本綺堂(おかもときどう)作の「番町皿屋敷」に登場する主人公"青山播磨(あおやまはりま)"も「白柄組」の暴れん坊ということになっています。

なお水野十郎左衛門は、生年不詳ながら実在の人物で、「旗本奴」の首領として悪名を馳(は)せた人物です。そして「旗本奴」と並ぶもう一方のヤクザ集団である「町奴(まちやっこ)」の親分"幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)"を謀殺したことで有名です。生涯その不法な行動は止むことはなく、寛文4年(1664)、遂に切腹させられたということです。

 
   
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