かぶきのおはなし  
  147.玄冶店(げんやだな)  
 
春日八郎の「お富さん」が大ヒットしたのが、昭和29年のことだそうですから、もうこの歌謡曲を知っている人は少ないのかもしれません。でも歌詞の中の一部分「----死んだ筈だよお富さん、生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さん、ええさほう、玄冶店」という有名な文句だけは聞いたことがある、という人は結構いらっしゃるのではないかと思います。

実はこの「お富さん」の歌詞は、歌舞伎ファンなら誰でも知っているというほど有名なせりふの一部なのです。「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」源氏店(げんやだな)の場で、切られ与三郎と異名をとる"与三郎(よさぶろう)"がチンピラ仲間の"蝙蝠安(こうもりやす)"に連れられて小銭を強請(ゆすり)に入った妾宅に、かって自分の女だった"お富"が誰かの囲われ者として暮らしているのを見た"与三郎"が"お富"に向かって言うせりふです。

 
 
妾宅の造りも歌にある通りの「粋な黒塀、見越しの松」のある「玄冶店」です。"お富"はといえば風呂上がりの、まさに「婀娜(あだ)な姿の洗い髪」です。

鏡に向かって化粧をするお富からは、中年増の色気がたっぷりと発散される場面です。与三郎の体には全部で34ケ所の切り傷があるのですが、この傷ももとはと言えば、3年前、当時やくざの親分の妾だったお富と、人目を盗んで契りを結んだことがバレて切り刻まれたことによるものなのです。
玄冶店
 
  (与三郎)もし、御新造さんえ、おかみさんえ、----お富さんえ、イヤサお富、久しぶりだなあ。
(お富)そういうお前は。
(与三郎)与三郎だ。
(お富)えっ。
(与三郎)おぬしァ俺を見忘れたか。
(お富)え、------。
(与三郎)しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取りとめてか木更津から、めぐる月日も三年(みとせ)越し、江戸の親にゃァ勘当受け、よんどころなく鎌倉の、谷七郷(やつしちごう)は食い詰めても、面(つら)に受けたる看板の、疵(きず)がもっけの幸いに、切られ与三(よそう)と異名(いみょう)を取り、押し借り強請(ゆすり)も習おうより、慣れた時代の源氏店(げんやだな)、その白化(しらばけ)か黒塀の、格子作りの囲いもの、死んだと思ったお富たァ、お釈迦様でも気が付くめえ。よくまァおぬしは達者でいたなァ----。

自分の意志とは関係なく、巧まずして男を迷わせ、男を虜にし、男の運命を翻弄する女。いい女。それが、お富なのです。

なお、歌舞伎では「玄冶店」が「源氏店」となっていますが、この「玄冶店」というのは江戸の地名だそうです。場所は、現在の日本橋堀留町の辺りだそうですが、幕府お抱え医師"岡本玄冶法印(おかもとげんやほういん)"の屋敷跡で、ここに芝居関係の人が多く住んでいたということです。

 
   
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