かぶきのおはなし  
  146.坂東玉三郎  
 
人気絶頂の女形、5世坂東玉三郎(大和屋)について触れましょう。

 
 
坂東玉三郎 昭和25年4月25日の生まれですから、私より1歳年下になります。本名は、守田親市(伸一)。もともとは歌舞伎界の出身ではないのですが、14世守田勘弥(もりたかんや)の養子になり、初舞台は昭和32年、坂東喜の字(ばんどうきのじ)を名乗り、東横ホールでの「寺子屋」で"小太郎"役を勤めました。昭和39年、14歳のときに5世坂東玉三郎を襲名、以来美貌の女形として第一線で活躍し、今日に至っています。
 
 
15世片岡仁左衛門が片岡孝夫と言った時代に美男・美女の「孝・玉」コンビとして一世を風靡(ふうび)したものです。この「孝・玉」コンビで最も印象に残っているのが、「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」で、孝夫の"釣鐘の権助(つりがねのごんすけ)"に対し、玉三郎の"桜姫"という配役でした。赤姫が女郎に売られてから"風鈴(ふうりん)のお鈴"という伝法なあばずれ女に変身していくところがとても良かったと記憶にあります。この時、玉三郎が最も似合う役は「悪婆」の役ではないかと思うに至ったものです。

当り役は何だろうと考えてみるのですが、私なりに挙げると「桜姫東文章」の"桜姫"、「花街模様薊色縫(さともようあざみのいろぬい)」の"十六夜(いざよい)"、舞踊の"鷺娘"、泉鏡花の「天守物語」の"富姫"などでしょうか。最近では「壇浦兜軍記」の"阿古屋"に挑戦しているようです。

なお、14世守田勘弥と初世水谷八重子とは夫婦ですから、その間に生まれた2世水谷八重子(前名、水谷良重)と坂東玉三郎は義兄妹ということになります。

もう10年余りも昔のことですが、坂東玉三郎自身の書いた本を読んだことがあります。その本の中で、彼が今(10年前)一番やりたいことは、歌舞伎ではなくて、映画監督だということが書かれていましたが現在はどうなのでしょうか。本人にたずねたいものです。

 
   
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