かぶきのおはなし  
  145.木綿芝居(もめんしばい)  
 
千葉県成田市の南西部に東勝寺という真言宗のお寺があります。俗に「宗吾霊堂(そうごれいどう)」と呼ばれているお寺で、祀ってあるのは"木内惣五郎(きうちそうごろう)"という江戸時代初期の農民です。生没不詳ですが、実在したことだけは間違いなさそうで、色々な伝承となって残っています。

木内惣五郎について最も人口に膾炙(かいしゃ)されている説は、まず下総国印旛郡公津村(こうずむら、現在の成田市)の名主で承応年間(1652-1655)、藩主堀田上野介正信(ほったこうずけのすけまさのぶ)の苛政に対して、農民を代表して堀田家江戸藩邸へ門訴したが聴き容れられず、遂に4代将軍家綱が上野寛永寺へ参詣の折り、直訴に及んだというものです。

直訴の結果、農民への減税は認められましたが、惣五郎は勿論、妻と子供も磔の刑に処せられました。その後、堀田正信が改易(かいえき)されたことから惣五郎の怨霊のなせる業、惣五郎一族の祟りとして伝承されていった訳です。

 
 
この農民による反体制運動を歌舞伎に取り入れたものが、瀬川如皐(せがわじょこう)(1806−1881)作の「東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)」で嘉永4年(1851)の初演です。上演に当たって興行主からは幕府への遠慮と、登場人物がボロボロの衣装ばかり着た「木綿芝居」になるとして猛反対だったそうですが、当時名人といわれた4世市川小団次(いちかわこだんじ)(1812−1866)の鶴の一声で上演が決まり、結果は大当たりだったということです。
木綿芝居
 
 
「東山桜荘子」は、一応幕府への配慮から時代を東山(足利)に置き換え、主人公も"浅倉当吾"ということにしてあったのですが、明治になって河竹黙阿弥が「佐倉義民伝(さくらぎみんでん)」として史実?に沿った形に書き改め、主人公も"木内宗吾"となりました。現在上演されるのは、専らこの「佐倉義民伝」です。歌舞伎の題材としては異色の農民反抗劇です。

最近では、1998年10月の国立劇場で2世中村吉右衛門の"木内宗吾"で通しで上演されました。初世中村吉右衛門(1886−1954)の当り芸だったことから現吉右衛門も気合が入っていたように見受けられました。

 
   
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