かぶきのおはなし  
  144.鬼の腕  
 
源頼光の四天王、渡辺綱(953−1025)の鬼退治にまつわる伝説をまずご紹介します。

要約すると、京都・堀川に架かる一条戻橋で女に化けた鬼に出会い、髻(もとどり)を掴まれたので、その鬼の腕を名刀鬚切り(ひげきり)で切り落とし、まずは事無きを得たというのが最初の話です。その後、陰陽師阿倍晴明(あべのせいめい)(921−1005)の勧めにより7日間閉門して慎んでいたところ、養母に化けた鬼がやって来て、切られた腕を取り返した、という話です。

歌舞伎でも大体伝説に近い筋書きとなっています。前半の話が「戻橋(もどりばし)」という常磐津の舞踊劇に、後半の話が「茨木(いばらき)」という松羽目物になっていますが、作詞を担当したのはいずれも河竹黙阿弥、鬼女の役はいずれも初演が5世尾上菊五郎(1844−1903)です。

なお、初演の時期だけでいうと「茨木」が明治16年で、「戻橋」が明治23年ですから後半部分の劇化の方が早く、話の順序とは逆になっています。

 
 
また、話の前後関係とは別に、もう一つ面白いことがあります。「戻橋」で渡辺綱が切り落としたのは、愛宕山の鬼女の右腕ですが、「茨木」で伯母に化けた茨木童子が取戻すのは自分の左腕だということです。
鬼の腕
 
  同じ作者と同じ演者なのに、どうして右腕が左腕になったのか不思議に思うのですが、外野席の見解では右腕無しに踊るのは難しいからというのが多数説です。茨木童子は、自分の腕を取戻すまでは片腕で踊る必要があるのです。わざとふざけて右左を逆にしたのか、単に間違えたのか本当のところは謎です。

5世尾上菊五郎といえば、幕末から明治にかけての名優といわれています。7世市川団十郎が定めた成田屋の家の芸・歌舞伎十八番に対抗する意味で、音羽屋の家の芸として新古演劇十種(しんこえんげきじゅっしゅ)を定めた役者です。そしてその新古演劇十種の中にこの「戻橋」と「茨木」は共に入っています。四天王物では「土蜘」も入っているのですが、5世尾上菊五郎という役者はよほど妖怪変化が好きだったのかなあ、と思ったりしています。

なお「茨木」の幕切れで、鬼女が見せる六法が有名な片手六法です。

 
   
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