かぶきのおはなし  
  141.雛流し  
 
「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)−吉野川の段」では、有名な「雛流し(ひなながし)」のシーンがあります。

吉野川を挟んで舞台下手が大和の国妹山(いもやま)で太宰少弐(だざいしょうに)の領地、上手が紀伊の国背山(せやま)で大判事清澄(だいはんじきよすみ)の領地、両花道が設けられ両花道が吉野川の土手、客席が吉野川の流れに見立てられています。遠見の山には満開の桜、美しい舞台です。

太宰、清澄の両家は永年の領地をめぐる争いで犬猿の関係にあるのですが、太宰家の娘"雛鳥(ひなどり)"と清澄家の息子"久我之助(こがのすけ)"は深い恋仲であるという、なにやら「ロミオとジュリエット」の世界に似ています。

「ロミオとジュリエット」と少し違うのは、あの怪物"蘇我入鹿"から太宰家に対しては、雛鳥を自分の側女(そばめ)として差し出せ、清澄家に対しては、久我之助が帝の寵愛する女をかくまったという容疑で、出仕させよという厳命が下るのです。

太宰家の後室(こうしつ、未亡人)"定高(さだか)"と"大判事清澄"は、子供同士が深く愛し合っているにも拘わらず、親同士の意趣遺恨からこれまで夫婦にさせられなかったが、本心では添わせてやりたいと願っており、しかしながら自分の方から言い出すのはこれまでの行きがかり上、出来ないでいるのです。そこへ入鹿からのこの難題です。

吉野川を挟んで対峙した太宰後室定高と大判事清澄は、互いに相手の腹を探り合うのです。このあたりの演技は相当の役者でないと勤まりません。難役です。絶体絶命の危機に立たされた親同士は、操を守り(雛鳥)忠義に尽くす(久我之助)には自分の子供を殺すしかない(子供の方も入鹿に従うよりは死を望んでいる)というぎりぎりの選択をするのですが、互いに相手の子供だけは助けたいと思うのです。そして、入鹿に従う判断をした時は、桜の枝を川に流すという約束をして別れます。

自分が入鹿の要求を受け入れれば、相手は自分を諦らめて生を全うしてくれるだろう。そう考えた互いの親は、桜の枝を川に流します。そして相手の家から桜の枝が流れるのを見た久我之助は切腹し、太宰後室定高は雛鳥の首を討つのです。

首を討って泣き崩れる声、刀を落とす音が相手の耳に聞こえ、親同士はそれぞれ子供を死なせたことを覚ります。自分の子は死なせてもせめて相手の子だけは助けようと、両家が同じことを考えており、結果としてその願いも空しく終わったことを覚る訳ですが、このことが両家を和解に導きます。我が子を殺すことによって両家が和解するというなんともやるせない悲劇の結末です。

雛鳥の首が雛祭りの道具に乗って吉野川の急流を渡り、清澄家に届きます。「雛流し」のシーンです。死の嫁入りです。腹を切り今まさに絶えなんとしていた久我之助は、雛鳥の首を見て来世で夫婦になることを誓い、満足して死んでいくのです。
 
 

なお、この吉野川の段では、義太夫の床が上手、下手の両床に分かれ、妹山・背山に関連する詞章を竹本の太夫がそれぞれ分けて語るのが伝統になっているようです。


雛流し
 
   
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