かぶきのおはなし  
  138.3なすび  
 
「1富士、2鷹、3なすび」という言葉があります。私も小さい頃、祖父に教えられたのですが、日本の3大仇討ちを言う言葉で、これをお正月初夢に見ると縁起が良いということです。

 
 
「1富士」は、富士の裾野での巻き狩りの日の仇討ち、つまり曾我兄弟による仇討ちです。「2鷹」は、播州赤穂浅野家の紋が"違い鷹の羽"ですから、これは忠臣蔵です。そして「3なすび」は、荒木又右衛門(あらきまたえもん)による伊賀越えの仇討ちです。伊賀は、なすびの産地だそうです。
3なすび
 
 
歌舞伎ではこれらの仇討ちは恰好の題材として多くの狂言が生まれました。そして「1富士」と「2鷹」については此れ迄に多くを書いてきましたので、今回は「3なすび」のお話をします。まず史実を簡単に述べますと次のようです。

寛永7年(1630)、備前岡山池田藩の城下で家臣河合又五郎(当時19歳)が同じ家臣渡辺源太夫(当時17歳)を殺害するという事件が起き、これが発端となります。そして源太夫の実兄である渡辺数馬が姉婿である荒木又右衛門の助太刀を得て、伊賀上野、鍵屋(かぎや)の辻(三重県伊賀上野市です)において敵・河合又五郎を討ったというものです。

たったこれだけの話が、何故日本3大仇討ちと言われる迄に有名になったのか?主として2つの理由があるように思います。

理由の1は、敵・河合又五郎が江戸の旗本某のもとに逃げ込み、引き渡しを迫る池田藩(外様大名です)との間で確執(かくしつ)が起こり、世情を賑(にぎ)わしたことです。徳川の直参旗本vs外様大名という構図です。

理由の2は、敵・河合又五郎に大和郡山の剣術師範・河合甚左衛門、槍の名人桜井半兵衛らが味方し、一方渡辺数馬にはやはり柳生新陰流の達人・荒木又右衛門が味方するという、まことに野次馬連中にはたまらない大物同士の果たし合いの様相を呈してきたことです。

仇討ちは、寛永11年(1634)11月7日、伊賀上野鍵屋の辻において数時間にわたる死闘の末、渡辺数馬らが見事河合又五郎らを討ち果たしたということです。

そしてこの事件は、当時のマスコミ?によって大々的に喧伝され、荒木又右衛門が36人斬りをしたという伝説まで生まれたのですが、史実では数人を斬り倒したに過ぎないということのようです。

この仇討ちを扱った歌舞伎狂言では、「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」が最も有名です。ただ、兄が弟の敵を討つというのは、テーマとしてどうも締まらない話なので、歌舞伎では、子が父の敵を討つという設定にしています。

 
   
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