かぶきのおはなし  
  134.累(かさね)  
 
歌舞伎の一系統に「累物(かさねもの)」というのがありますので、ご紹介します。当時、巷間に流布されていた「累伝説」を劇化したものです。

江戸時代の承応から寛文年間といいますから、西暦1652〜1672年頃ということになります。下総の国、羽生村(はにゅうむら、現在の茨城県水海道市です)に一人の醜い容貌の女性がいました。名を"累"と言います。母親が醜い子を川の中に突き落とした祟りで、醜い姿に生まれついた累は、百姓"与右衛門(よえもん)"と結婚しましたが、容貌が醜いだけでなく心まで捩(ね)じれた性悪(しょうわる)の嫉妬深い女性だったということです。耐え兼ねた与右衛門は累を鬼怒川(きぬがわ)で殺してしまいます。後妻を迎えた与右衛門に累の怨霊が祟り、後妻は次々と死んでしまいますが、6人目の後妻"菊"に累の怨霊が乗り移ってあらぬ事ばかり口走るので、祐天上人(ゆうてんしょうにん)を招いてその法力で累の怨霊を鎮めてもらい、累もようやく解脱(げだつ)したという話が「累伝説」です。

祐天上人は、東京・目黒にある祐天寺の開祖とされる人物です。また祐天寺には、「累塚」が建っています。下総の国、法蔵寺(ほうぞうじ)には累のお墓があるそうです。

この「累伝説」がもとになって様々な歌舞伎狂言が生まれました。そして数ある「累物」の中で最も有名で、且つ、上演頻度の多いのが清元の舞踊劇「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」、通称「累」なのです。

 
 
歌舞伎で主人公の女性がブスではどうしようもありません。それで歌舞伎の「累」では、"累"は美しい女性として描かれ、二枚目の"与右衛門"(歌舞伎ではこちらが悪人です、色悪という役どころです)と仲睦まじい色模様を見せます。ところが、与右衛門が累の父親"助(すけ)"を鎌で殺し、累の母親"菊"と密通したという悪因縁が累に祟ります。累は顔面がお化けのように醜く腫れ上がり、その上、足がびっこになってしまうのです。運命のいたずらか、親を殺した大悪人と契ったばっかりに醜女になり、その挙げ句、与右衛門に殺されてしまうのです。そして今度は与右衛門に祟るというのが歌舞伎の「累」の粗筋です。
累
 
  前半部分がしっとりとした二人の色模様ですが、累の容貌が一変したところからオドロオドロしい怪談になるという変化の多い、それだけに見所の多い舞踊劇です。私もこの「累」は好きな作品です。

なお、三遊亭円朝(1839−1900)の作である落語「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」も同系統の作品です。

 
   
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