かぶきのおはなし  
  133.時は今  
 
織田信長が明智光秀の裏切りにあって京都本能寺で死んだのは、天正10年(1582)6月1日のことです。この明智光秀の反逆を芝居にしたのが「時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)」です。別名「馬盥の光秀(ばだらいのみつひで)」とも言います。

歌舞伎では明智光秀を武智光秀というのですが、この光秀が反逆を決意するに至った沢山ある理由の一つが、諸侯列席、満座の中で馬に水を与えるときに用いる盥(たらい)に酒を注いで飲むことを小田春永(信長のことです)に強要され、耐え難い屈辱を味わうという場面があり、それで別名「馬盥の光秀」と呼ぶのです。

 
 
謀反を決意した光秀は、京都西北の愛宕山(あたごやま)で、里村紹巴(さとむらじょうは、実在の連歌師です)らを招いて連歌(れんが)の会を催すのですが、ここであの有名な発句を詠むのです。歌舞伎でも謀反を連想させる発句です。

「時は今 天が下(あめがした)知る 皐月(さつき)かな」。
私流に勝手に訳すとこうなります。
時は今
 
  「時は今」は、今まさに絶好の機会に恵まれた、今が信長を倒すチャンスだ、ということでしょう。「天が下知る」というのは、梅雨どきですから雨が降っているというのと天下(てんか)をとるという意が掛けられているような気がします。自分が天下を取ることを、天も知っているとでも訳せば良いでしょう。最後の「皐月かな」は、この連歌の会が5月28日なので「皐月」なのか、あるいは更に光秀の妻の名前の「皐月」まで掛けてあるのかも知れません。兎に角、いかにもこれから謀反を起こすことを連想・予感させるような句です。

ついでに、外題の「時今也桔梗旗揚」ですが、これも「桔梗(ききょう)」というのが、明智光秀の紋所ですから、桔梗の旗揚げとは、明智が織田に取って代わることを暗に意味しています。4世鶴屋南北の作品で、初演は文化5年(1808)です。

 
   
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