かぶきのおはなし  
  131.梅若伝説  
 
歌舞伎には、「梅若(うめわか)伝説」を取り入れた作品が数多くありますので、まずその「梅若伝説」なるものをご紹介します。有名な話なのでご存知の方も多いと思います。

 
 
京都洛北の北白川に吉田少将行房という者が住んでいて、吉田家には"梅若丸"とうい名の幼い子供がいました。この梅若丸があるとき人買いにさらわれて、東国は武蔵の国、隅田川のほとりで病死しました。母親は子供を訪ねて旅を続けるのですが、悲しみのあまりとうとう発狂して隅田川のほとりをさ迷うというものです。
梅若伝説
 
  この「梅若伝説」は、まず能の「隅田川」として扱われたのですが、歌舞伎や文楽でも「隅田川物」というジャンルを形成するほどに「梅若伝説」を題材とした多くの作品群が生まれたのです。

この「隅田川物」で最も有名なのが、清元の舞踊劇「隅田川」でしょう。筋書きは、「梅若伝説」と全く同じですが、幼い子を亡くした"狂女"の役は、6世中村歌右衛門の当り芸となり、海外公演もしばしば行われた作品です。

「梅若伝説」に更に吉田家の内紛や、「伊勢物語」の在原業平(ありわらのなりひら、六歌仙の一人、伊勢物語の主人公とされる)東下りの筋を絡ませたり、という言わば亜流の「隅田川物」も多く作られました。「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」、「隅田川花御所染(すみだがわはなもごしょぞめ)」、「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」などがそうですが、いずれも「梅若伝説」がベースとなっていることを知っていれば理解の一助となるでしょう。

この「隅田川」は江戸の町中を流れる川として、当時の庶民に親しまれていたようで歌舞伎にはその川畔の風景が多く登場します。秩父山塊を源とし、上流では「荒川」と言う名前、また江戸に下って浅草吾妻橋から下流を特に「大川」とも呼びます。

なお、現在でも「隅田川」の東岸、墨田区堤通り2丁目の木母寺(もくぼじ)には、「梅若」のお墓があるそうです。また、近くには「梅若」小学校もあります。

 
   
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