かぶきのおはなし  
  129.髪梳き  
 
女性から男性への愛情表現として歌舞伎には「髪梳き(かみすき)」という演出法があります。女性が櫛を持って男性の乱れた髪を撫でつけて整えてやる、というただそれだけですが、妙に艶めかしい色模様として見る者の五感に訴えるものがあります。鏡に映った互いの顔と顔を見合わせて、愛の存在をしっぽりと確かめ合うという、そんな良い雰囲気が「髪梳き」の一般的な場面なのです。

この「髪梳き」の代表的な場面が「其小唄夢廓(そのこうたゆめもよしわら)」というお芝居で、遊女"三浦屋小紫(みうらやこむらさき)"が恋人であり罪人でもある"白井権八(しらいごんぱち)"の人相を変える為に、権八の前髪を剃り落とし、町人の髪に仕立てあげるシーンです。清元の哀調に乗って色模様がしっぽりと描かれている良い場面です。

女性が一人で、自分の髪を鏡に向かってなでつける場面も、結構色っぽいものを感じさせます。「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」源氏店(げんやだな)の場では、あの"お富(おとみ)"が風呂あがりの婀娜(あだ)な姿で「髪梳き」をしています。まさに色気があってイイ女です。

このように歌舞伎の「髪梳き」は、色模様だとか、かすかな色気を感じさせるのが普通ですが、全く違うのが「東海道四谷怪談」におけるお岩の「髪梳き」です。

 
 
伊藤喜兵衛から贈られた毒薬を飲んで醜い顔になったお岩が、伊藤家へ怨み言を述べに行く前に、女の身だしなみとして髪を梳いてから行くというのです。既に顔が醜く腫れ上がったお岩が、しかも産婦の身でありながら鉄漿(かね)まで付けて礼?に行こうとするのですから、もう異常というほかありません。

静かに髪を解き、母の形見の櫛を使って細かに髪を梳こうとするのですが、お岩の意志に反して髪は生え際からごっそり抜け落ちるのです。
髪梳き
 
  まるで妖怪のような顔となったお岩の髪の毛から真っ赤な血が流れ落ちて、白い衝立にしたたります。周りでぶんぶん飛びまわる蚊の羽音と背後で泣くうっとうしい赤ん坊の声が、一層この場の不気味さを際立たせています。

「ただ恨めしいは伊右衛門どの、喜兵衛一家の者共も、なに安穏(あんのん)におくべきか、---- 。」抜け毛を櫛もろとも掴むのですが、その櫛の毛の中から血汐がタラタラと落ちてきます。何ともおどろおどろしいお岩の「髪梳き」です。

 
   
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