かぶきのおはなし  
  121.つっころばし  
 
上方の和事系の役柄に「つっころばし」というものがあります。江戸の荒事系では、こういう役柄はありません。

「つっころばし」というのは、ちょっと肩を突けばすぐに転んでしまいそうになるほど力ない、なよなよした柔弱な感じのする男のことです。要するに優男(やさおとこ)です。

 
 
つっころばし しかしこの「つっころばし」は優男だけあってその立ち居振る舞いには、柔らかな男の色気を感じさせるものがなくてはなりません。いかにも人の良さそうな育ち、苦労を知らない大家のぼんぼん、そしてどこかとぼけたところがあって(時に痴呆的ですらある)、可笑し味のあるそんな人物像が滲み出るような演技力が要求される訳です。
これは立ち姿、歩き方、そしてせりふ回しなど独特の工夫のいる結構難しい役柄ですが、当代では3世中村鴈治郎(なかむらがんじろう、成駒屋)の「つっころばし」が抜群だと思います。

 
  実際の芝居では「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の若侍"磯之丞(いそのじょう)"、「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」の"与五郎(よごろう)"などがこの「つっころばし」の代表でしょう。あるいは「心中天網島」河庄(かわしょう)の場における"紙屋治兵衛(かみやじへえ)"などもそうです。

「双蝶々曲輪日記」の角力場(すもうば)では、豪商の一人息子の与五郎が、自分が贔屓にしている関取"濡髪長五郎(ぬれがみのちょうごろう)"のことを御追従(おついしょう)で褒めてくれる茶屋の主人を他愛もなく喜び、嬉しさの余り紙入れ(財布)ごと持ち金全部を茶屋の主人に与えたり、自分の着ている羽織でも何でも与えてしまいます。世間知らずで我が侭ではあるが人の良い(が少し頭の弱い)大家のぼんぼん、贔屓の濡髪長五郎が相撲に負けるとすっかりしょげかえってしまったり、なかなか見ていて味わいのあるものです。

また、「河庄」の治兵衛の(花道からの)出の場面では、床の浄瑠璃が「魂ぬけて とぼとぼ うかうか」と語るのですが、優男の憂いの姿を見せるところです。

 
   
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