117.春宵一刻値千金 | ||||||
中国は北宋の文人、蘇東坡(そとうは 1037−1101)の詩の一節に「春宵一刻値千金(しゅんよいいっこくあたいせんきん)」というのがあります。また、滝廉太郎(たきれんたろう)作曲になる唱歌「花」の詞章にも「-- げに一刻も千金の 眺めをなにに たとうべき」という一節があります。いずれも桜花爛漫たる春の眺めは、ほんの僅かの間でも千金の価値があるという、美しい景色を愛でたものでしょう。 |
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この「楼門五三桐」は上演時間僅か15分たらずの短い芝居です。しかし歌舞伎の美の最高のもの総てがこの短い一幕に凝縮されているようで、観客は十分歌舞伎の素晴らしさを堪能できる豪華ショウなのです。 舞台は、満開の桜に彩られた唐様極彩色の南禅寺山門です。そこに大百(だいびゃく)の鬘にどてら姿の大盗賊石川五右衛門が、大きな銀煙管をゆっくりとくゆらせながら眼下に広がる都の景色を眺めているのです。五右衛門には座頭役者の貫禄がなくてはいけません。まことに錦絵を見るが如き贅沢な舞台です。歌舞伎の美しさこれに極まれりと言っても過言ではないでしょう。 芝居ではこのあと、五右衛門の宿敵"真柴久吉(ましばひさよし)"(秀吉のことです)が、浅葱(あさぎ)色の頭巾と着付けの巡礼姿でセリ上がり「石川や 浜の真砂(まさご)は尽きるとも 世に盗人(ぬすっと)の 種は尽きまじ」と歌を詠みます。そこへ五右衛門が手裏剣を投げつけ、久吉が手に持った柄杓で発止(はっし)と受け止めて、両者にらみ合いのまま、見得となったところで幕となる、ただそれだけです。(この山門の上(五右衛門)と下(久吉)に分かれて決まる見得を「天地の見得」といいます。) なお、「石川や --- 」の歌は、実録の五右衛門が釜茹での刑にされたときの辞世の句とされています。 |
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