かぶきのおはなし  
  114.五大力  
 
江戸時代では、主として女性が手紙を出すときに相手に間違いなくこの手紙が届きますようにという願いを込めて、手紙の封じ目の所に「五大力(ごだいりき)」という言葉を書くというのが、一般的に広く行われていたようです。この「五大力」という言葉は、現代で言えば、「親展」に近いのですが、どちらかと言えば、お呪(まじな)いの言葉という方が当たっているようです。

「五大力」は又、「五大力菩薩」とも書いたのですが、もともとは「五大力菩薩」のことなのです。それで「五大力菩薩」とは何かということですが、仏教で三宝と国土を守護する5人の大力のある菩薩様のことです。ものの本で調べると、金剛吼(こんごうく)、竜王吼(りょうおうく)、無畏十力吼(むいじゅうりきく)、雷電吼(らいでんく)、無量力吼(むりょうりきく)の5菩薩です。何だか強そうな名前です。三宝とは、仏・法・僧の3つの宝物です。

この「五大力菩薩」が、道祖神信仰と結びついて、いつしか封じ目に「五大力」と記せばその力により手紙が無事に届くと、考えられるようになったとのことです。

 
 
この辺りまでなら私もついていけるのですが、迷信深い江戸の人々は、この「五大力」を更に別の意味にまで発展させました。
女性が愛する男性への貞操の証(あかし)として、あるいは二世を契った夫婦の誓いの言葉として、櫛や簪(かんざし)、煙管(きせる)、三味線など日用身の回り品に「五大力」と彫ったり「五大力」と書いたのです。
現代風に言えば、ヤクザ映画でよくある「○○様命」という刺青とまあ同じようなものと思っても良いでしょう。

五大力
 
  歌舞伎では、初世並木五瓶の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」というお芝居が最も有名ですが、遊女や芸者などが男への操を立てる為に三味線の裏皮などに「五大力」と書く場面が見られます。そして大抵の筋書きは、裏切られたと男が勘違いして女を殺してしまうというパターンです。愛想づかしと同じパターンです。

「五大力恋緘」では、芸者"小万(こまん)"が恋人"薩摩源五兵衛(さつまげんごべえ)"への変わらぬ愛の誓いとして、芸者の命である三味線に「五大力」と書くのですが、ある事情があって心ならずも敵役"笹野三五兵衛(ささのさんごべえ)"の為に「三五大切」と書き直します。頭に「三」をつけて「力」に「土」扁を付けて「三五大切」とするのです。そしてこれを見た"源五兵衛"が"小万"の本心を見抜けず、自分を裏切ったものと早合点をした挙げ句、怒りの余り殺してしまうのです。

話は余談になりますが、遊女が客に出す手紙を「天紅(てんべに)」と呼びます。手紙の白い紙の上縁に、赤い紅を付けてから差し出すのが遊女の習いだったそうで、ここから「天紅」という名前がついたのだそうです。ただこの言葉、どの国語辞典を引いても出てきません。あるいは、歌舞伎の世界だけに通用する言葉なのかとも思ったりしますが、自信はありません。

舞台で男が、この「天紅」の文を長く垂らして読んでいる様は、ほのかな色気が漂ってなかなか良い風景です。

2000年正月の国立劇場、「忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの)」では、滝夜叉姫(たきやしゃひめ)が「天紅」の文を使って振りをしていました。

 
   
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