かぶきのおはなし  
  106.遠見  
 
「遠見(とおみ)」というのは読んで字の如く、遠くを見ることです。
歌舞伎では、大道具用語にこの「遠見」があり、それから演出用語にも「遠見」があります。

 
 
遠見 まず最初の大道具の「遠見」ですが、舞台の背景画(書き割、と呼びます)が、はるか遠方まで広がっているように、遠近法を使って描いてあることです。ちょうど、フランス人画家、ユトリロの絵のように、近くにあるものを大きく描き、遠くのものを小さく描くという、ものです。
 
  多くみられるのは、遠くに見える山野を描いた「野遠見」や「山遠見」、遥か彼方の海原を表現した「海遠見」、広い庭を描いた「庭遠見」などです。西洋画の遠近図法と同じ要領です。

次に演出用語としての「遠見」ですが、これはなかなか傑作です。こんなのは、きっと歌舞伎にしかないのだと思うのですが、要するに遠くにいる人物を表現するのに子役を登場させるのです。勿論、背景画は大道具の「遠見」ですが、動く人間を表現するにはまさかオトナを小さくする訳にはいかないので、そんならと子役に片棒を担がせるという算段なのです。

一例を挙げると「飼葉料」の項でも書きましたが「一谷嫩軍記」の"熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)"と"平敦盛(たいらのあつもり)"が、海辺でチャンバラしているときはオトナの役者であるのに、遠く須磨の海の沖合いで馬に乗ったまま斬りむすぶ場面になると子役に変わるという具合いです。

急に子役になって吃驚(びっくり)するけれど、なかなか楽しい工夫だと思います。客席で見ているとこれは結構笑えるのです。

なお「遠見」の「馬」ですが、まさか馬の脚を子供にやらせる訳にはまいりませんので、小さく作った張り子の「馬」を使います。この張り子の「馬」のことを「ほにほろ」と言います。これは何でも江戸時代の飴屋の風俗を歌舞伎に取り入れたものだそうです。

「恋飛脚大和往来−新口村」では、雪の降りしきるなか死出の旅に出る"梅川"と"忠兵衛"を、忠兵衛の親・"孫右衛門"が涙ながらに見送るというラストシーンがあるのですが、ここでも「遠見」の演出になる場合があります。

3世中村鴈治郎(なかむらがんじろう)の"梅川"と15世片岡仁左衛門の"忠兵衛"が、遠くに消え去ると、こんどは黒の着付けの道行きルックに、白い布で頬かむりをした可愛い子供の"梅川"と"忠兵衛"がお手手をつないで出て来ます。勿論心中に赴く訳です。


 
   
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