かぶきのおはなし  
  98.道行物  
 

女性の外出用の和装コートを「道行コート」と呼ぶそうですが、「道行(みちゆき)」とは私が説明するまでもなく、道を行くこと、あるいは旅をすることです。一人で道を行く場合もあるでしょうし、二人以上で旅をする場合もあるでしょう。

歌舞伎舞踊で「道行物」という1ジャンルがあるのですが、歌舞伎舞踊の場合には一人ではなく普通男女二人が目的地へ向かう道すがらの情景を描いたものをさします。(女二人という場合も例外的にあります。)

一方、人形浄瑠璃では長編の作品には、必ずこの道行の舞踊場面が織り込まれるというのが原則だそうですが、人形浄瑠璃では「道行」とは言わず「景事(けいごと)」と呼んでいます。道行く景色を掛け詞や縁語などで詠み込んだところから「景事」と呼ばれるようになったのだそうです。
道行物
 
 
さてこの「道行」の二人ですが、色々な旅道中があります。「仮名手本忠臣蔵」の4段目と5段目の間に挿入される清元「道行旅路の花婿」では恋人同士(お軽と勘平)ですし、同じく8段目「道行旅路の嫁入」では母娘(戸名瀬と小浪)です。また「義経千本桜」4段目の「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」では主従(静御前と忠信)といった具合に二人の関係も様々です。

また忘れてならないのは、恋する男女二人の死出の旅も勿論「道行」ですし、「道行」という言葉自体が情死に赴く二人、「心中」の代名詞になっているほどです。近松門左衛門の心中物として名高い「曾根崎心中」では、曾根崎天神の森に向かう、お初と徳兵衛の道行ですし、「恋飛脚大和往来−新口村(にのくちむら)」では大雪が降りしきる中、梅川と忠兵衛が死出の旅に向かいます。

この心中に向かう場面というのは、勿論歌舞伎の舞台の上だけの言わば異次元の世界のことですが、人生に絶望した男女二人の切ない気持ちが義太夫の糸にのって客席に伝わり、男女の情死というものを見事に美しく表現しているように思います。



 
   
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