かぶきのおはなし  
  96.切り口上  
 
現代でも長編小説などでは、第何部(あるいは第何編)というように、区切りがあることが多いのですが、歌舞伎狂言でこの「部」または「編」に当たる部分を「段」と言います。

例えば、「仮名手本忠臣蔵」であれば全11段の大作ですし、「菅原伝授手習鑑」が全5段、「義経千本桜」も全5段の長編です。

現代では、こうした長編物の狂言を1段目から最終段まで続けて上演するのは、寧ろ希れです。だいいち時間が掛かり過ぎますし、全段中には面白くない部分、不出来な部分もあるからです。全段を最初から最後まで上演することを「通し狂言」と言いますが、「仮名手本忠臣蔵」だと多分12時間以上は掛かるでしょう。ですから、普通はどこかの段だけを独立して上演することの方が多いですし、だいたい歌舞伎は、前後がなくても見る側に支障がないように出来ているのです。

1つの「段」だけ独立に上演しても観客に分かるということは、「段」のなかで、それぞれ起承転結がある訳でして、段の最後の部分を「切り」と言います。
例えば、4段目の最後の部分のことを「四の切り」というように言います。

 
 
そして江戸時代では、その日一日の全狂言が終わった時に、一座の主立った者が舞台に出て、口上を述べるのが慣習でした。「まず本日は此れ迄」とか「まず今日はこれきり」とか、その言い回しが型にはまった、いかにも型苦しい挨拶だったそうです。要するに、いつも同じ言い方で心がこもってないということです。

改まった型苦しい口調、無愛想で突き放したような口のききかたのことを「切り口上」と言いますが、歌舞伎からでた言葉です。
切り口上
 
 
2000年1月の国立劇場でも、3幕目の「切り」の後、中村芝翫(なかむらしかん)が「まず本日はこれにて」と「切り口上」を述べました。

また、歌舞伎興行で一日の出し物の最後の一幕を「大切り」と言います。縁起を担いで「大喜利」とも言います。日本テレビの人気番組、三遊亭円楽が司会を勤める「笑点」の最後が「大喜利」ですが、歌舞伎のそれをもじったものではないかと思っています。

 
   
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