かぶきのおはなし  
  95.鮒侍  
 
実録の忠臣蔵では、江戸城松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に対して刃傷に及んだ直接の理由は、勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)に絡む嫌がらせにあると伝えられていますが、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」ではちょっと違うのです。

「仮名手本忠臣蔵」では、高師直(こうのもろなお、実録では吉良上野介)は、もともと桃井若狭之助(もものいわかさのすけ、実録では伊達左京亮、もう一人の勅使饗応役)に対して含むところがあった訳で、塩冶判官(えんやほうがん、実録では浅野内匠頭)に対して害意はなかったのです。

ところが、桃井若狭之助の家老加古川本蔵(かこがわほんぞう、実録では梶川与惣兵衛、伊達家の家老)が、事前に高師直に莫大な額の賄賂を贈っていたので、師直は若狭之助に対する攻撃の鉾を納め、逆に若狭之助に心ならずもお追従を言わざるを得ないことになり、その鬱憤の捌け口を塩冶判官に向けたのです。

塩冶判官高貞の奥方である顔世御前(かおよごぜん)に横恋慕して振られたことも重なって、腹いせにいきなり殿中で塩冶判官に罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせたのです。

 
 
「鮒(ふな)だ、鮒だ、鮒侍(ふなざむらい)だ」と言って、判官を罵倒する訳です。美人の奥方のいる井戸のなかを、ちょろちょろ泳ぐ世間知らずの田舎侍だと----。温厚な判官も突然ふって湧いたようなこの侮辱に絶えられず、刃傷に及んだというのが芝居の筋書きなのです。恋の遺恨と鬱憤の捌け口、単純ですね。
鮒侍
 
 
師直からの恋の付け文への返歌として、顔世御前が贈った歌は有名です。断固拒絶の歌です。

「さなきだに 重きがうえの 小夜衣(さよごろも)、我が夫(つま)ならで つまなかさねそ」。

 
   
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