かぶきのおはなし  
  89.江戸紫  
 
ムラサキ科の多年草に「ムラサキ」という名の植物があります。主に山野に自生し、夏になると直径が1cmにも満たない白い小さな花を咲かせます。背丈は、50cmくらいでしょうか、目立たない花なのでよく注意していないと見過ごしてしまいます。

この「ムラサキ」ですが、根は太く、昔から染料として利用されて来ました。江戸時代には、武蔵野地方特産だったこともあって、この「ムラサキ」の根で染めた色(紺色がかった紫)を「江戸紫」と言って、江戸っ子に珍重されたそうです。 この紫染めは、井の頭の湧水を源とする神田川の水で染め上げたもので、18世紀末には江戸の特産品にまでなったということです。

 
 
実は、日本一のいい男として江戸庶民の憧れの的だった助六が結んでいる紫縮緬の鉢巻きも、この「ムラサキ」で染めた鮮やかな「江戸紫」で、高貴にして上品な感じのする美しい色をしています。江戸っ子の美意識に叶った鉢巻きの色にも、演出の素晴らしさを感じる訳です。

前置きが長くなりましたが、男伊達の代表である助六の扮装を、ご紹介しましょう。まず鬘(かつら)は「生締め」(なまじめ)、顔は白塗りの「むきみ隈」、「江戸紫」の鉢巻きを結んで、全く非のうちどころのないいい男です。
江戸紫
 
  次に、着物はというに、裏紅絹(うらもみ)の黒羽二重(くろはぶたえ)に杏葉牡丹(ぎょようぼたん、成田屋の紋です)の五所紋(いつところもん)、下着は浅葱無垢(あさぎむく)、帯はこれまた杏葉牡丹と三升(みます、やはり成田屋の紋です)を交互に織り成したもの。かすかな男の色気を感じさせる衣装です。

腰には鮫鞘(さめざや)の刀を差し、印籠を下げ、腰の後ろには尺八を差し、さらにやはり杏葉牡丹の紋のついた蛇の目傘を挿しているのです。下駄は桐の正目、足袋は黄色、左小褄(ひだりこづま)をとって花道から登場です。まさに傾き者、男伊達を地でいくようです。

当然のことながらこの助六、女によくモテます。遊女たちの前に行けば「煙管(きせる)の雨が降る」と言わしめるほど、吸付け煙草が一斉に差し出されますし、吉原大門をくぐるとき「助六」の名を手のひらに三回書いて舐(な)めると一生女郎に振られるということがないと言われているほどです。また、女にモテるだけではなく、喧嘩沙汰になって引けをとったことは一度もないというほど、喧嘩も滅法強いのです。そのうえ口もたつという、三拍子揃った大江戸八百八町にかくれのない我らが助六さんなのです。

お芝居とはいえ、同じ男として何とも羨ましい限りです。


 
   
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