74.伊達兵庫 | ||||||
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世話物でいうと、「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」の"八ツ橋"がそうです。それから「廓文章(くるわぶんしょう)」の遊女"夕霧"もそうです。 どのくらい煌びやかかというに、それは筆舌に尽くし難く、本物の芝居を見て頂くのが一番です。それでも敢えて表現すれば、まず最高の格式を誇る花魁に相応しく、文金島田の髷を大きく左右に張って結い上げます。その髷に3枚の鼈甲(べっこう)の櫛を挿します。それから松や琴柱(ことじ)を象った簪(かんざし)を左右に3本ずつ挿します。それから更に、珊瑚(さんご)の大玉の簪を上から2本挿してあるという、まことに豪華絢爛たる鬘です。 その豪勢な衣装と相俟って、見る者を夢幻の世界に誘うような気分にさせます。まさに歌舞伎美の極致を表わしているのです。 余談ですが、「伊達兵庫」の鬘に、俎板(まないた)帯を締めた花魁の正装衣装と3枚歯の高下駄を合わせると、重さが何と30kgになるそうで、体力のない役者が、こうした役を勤めるとヘトヘトになるそうです。 もう一つ余談を許してもらうと、江戸吉原の遊女屋でナンバー1の遊女のことを「御職(おしょく)」と言い、ナンバー1の遊女でいることを「御職を張る」と言います。ところが同じ遊女屋でも品川(東海道)、内藤新宿(甲州道)、板橋(中山道)、千住(奥州道)などの宿場女郎屋では、ナンバー1を「板頭(いたがしら)」と呼ぶことの方が多かったそうです。楼に所属する花魁の名前を板に書き並べるとき、一番の売れっ子の名前を筆頭に書いたことによるものです。 遊女も立派な職業なのでしょう。 なお、甲州街道の宿場、今でいう新宿を「内藤新宿」と呼ぶのは、信州高遠(たかとお)藩、内藤若狭守の下屋敷の一部に馬継ぎの施設が設けられたためだそうです。 |
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