かぶきのおはなし  
  66.またかの関  
 
歌舞伎十八番の内「勧進帳」は、全歌舞伎狂言の中でも屈指の名作であり、日本の歌舞伎を代表する人気狂言だと断じても過言ではないでしょう。

この作品は、7世市川団十郎(1791−1859)が、能の「安宅(あたか)」から題材を取り、これに講談の「山伏問答」の要素を織り交ぜ、さらに独自の工夫を加味し「松羽目物(まつばめもの)」に仕立て上げたもので、歌舞伎十八番中最も新しい作品です。初演は、天保11年(1840)江戸河原崎座においてでした。

もう皆さんよくご存知のお芝居だとは思いますが、簡単にストーリーをお話します。

平家滅亡後、義経は兄頼朝の不興をかって追われる身となり、奥州平泉の藤原氏を頼るべく陸奥をめざして落ち延びるところ、北陸路は加賀の国安宅の関にさしかかります。義経一行は6名、奈良東大寺大仏殿再建の為、諸国を勧進(寄付金集め)してまわるという触れ込みです。武蔵坊弁慶と四天王といわれる義経の家来4名(亀井六郎、片岡八郎、駿河次郎、常陸坊海尊)は山伏姿に身をやつし、義経は強力(ごうりき=山伏の従者、荷物担ぎ)に変装をしています。

関を守るのは、富樫左衛門(とがしのさえもん)という名の頼朝の代官です。義経一行は隠れ山伏(ニセ山伏)に姿を変えているという鎌倉よりの情報があり、山伏姿の者は一人たりとも通すこと罷り成らんと立ちはだかります。やむなく弁慶は、ここで勤行(ごんぎょう)の務めを行うが、その様子を見た富樫はもしかして本物の山伏かと思い、もし本物であれば「勧進帳」(寄付を集める為の趣意書)を持っている筈だからそれを読めと言います。

もとよりニセ山伏だから「勧進帳」などあろう筈もないが、弁慶は懐から白地の巻き物を出し、これが「勧進帳」だと偽って、白地が富樫から見えないように注意しつつ、南都東大寺大仏殿建立の「勧進帳」を、アドリブで(勿論はったりです)音吐朗々と読み上げます。富樫は納得したが、念の為といって今度は山伏の扮装のいわれや修行の様など、仏教に関する教養の無い者には到底答えられない難問を畳み掛けますが、弁慶はもともと熊野の坊主だったから、宗教的な質問にも淀みなく答える訳です。即答です。この俗に「山伏問答」と言われるところが前半の山場で、2人の役者の息詰まる攻防は見ていて手に汗を握る場面です。

とうとう富樫も本物の山伏に間違いないと断を下し、一行に関所の通過を許し、一行がまさに通り抜けんとするその時、強力が義経に似ているという番卒の注進があり、一行は危機一髪となります。四天王はもはやこれまで、かくなる上は強行突破するしかないと刀に手を掛け一触即発となりますが、弁慶は咄嗟(とっさ)の機転でこれを押し止めて、持っていた金剛杖で強力(義経)を打ちすえます。ここが第二の山場です。心の中で泣きながら、「おまえがもたもたしているから義経なんかに間違えられるのだ」とさんざんに義経を打擲(ちようちゃく)するのです。そして富樫に向かって「疑いあらば、こいつをこの場で打ち殺そうか」と迄言い放つのです。乾坤一擲(けんこんいってき)とはこのことを言うのでしょうか、まさに弁慶の打った大博打です。

富樫は、瞬時にして覚ります。「これは義経に間違いない」と。そしてまた瞬時に覚悟を決めるのです。「いざとなれば自分が腹を切ればよい」と。武士の情です。かほどにまでして主君を救おうとする弁慶の熱意に打たれ、心ならずも「見間違えた、義経ではない」と言ってしまうのです。

この時の富樫役者の言い回しが非常に難しいのです。ほんの少し前には「義経を捕らえたぞ」と喜んだが、「捕らえるに忍びず」となり「もしかしたら自分は切腹か」という心の葛藤が渦巻くなかでのせりふなのです。ほんの瞬間ですが、富樫は顔をぐっと上向けて泣きます。よく注意して見ないと分からないくらいですが、私は富樫のこの涙を堪えて腹で泣くシーンが好きです。

 
 
難所を突破したのち、弁慶は義経に主君を打った詫びを入れ、義経は逆に弁慶の機智を誉めるのですが、ここのところの長唄の一節「--- ついに泣かぬ弁慶も一期(いちご)の涙ぞ殊勝なる、判官(ほうがん)御手をとり給い ---」は聞く者の心をうちます。

このあと、間違えたお詫びにと酒を振る舞われ、弁慶は延年(えんねん)の舞を舞います。そして最後の見せ場が、弁慶の幕外(まくそと)の引っ込み、「飛び六法」です。やっとのことで虎口を脱したことを神に感謝する気持ちを込めて(富樫への感謝の念も込められているとも解釈すべきでしょう)、客席に向かって一礼したあと豪快な飛び六法で花道を引っ込むのです。
またかの関
 
  この「勧進帳」というお芝居は、弁慶、義経、富樫の緊張関係の起承転結が、1時間10分ほどの劇のなかに見事に描かれており、また長唄の名曲とも相俟って、まことに素晴らしいお芝居だと思います。

さて、7世市川団十郎の初演以来、歌舞伎界最高の人気狂言となったこの「勧進帳」、人気狂言だけあって上演回数も飛びぬけて多いのです。そこで、これが能の「安宅」(の関所)から題材を得ていることから、この「勧進帳」のことを「またかの関」と呼ぶのです。今度も「またか」というほど上演される訳です。

余談です。長唄の文句に「ついに泣かぬ弁慶も、一期の涙ぞ殊勝なる----」とあるように、弁慶という豪勇無双の荒法師は、このとき生涯ただ一度の涙を流した、ということですが、「御所桜堀河夜討(ごしょざくらほりかわようち)」という丸本物の狂言で、「生まれた時の産声より、外には泣かぬ弁慶が、30余年の溜め涙」を一度に見得も外聞もなく、大泣きに泣く場面があって大変に面白いので、機会があれば御覧下さい。

 
   
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