かぶきのおはなし  
  58.江戸時代に磁石はあったか?  
 
結論を先に申しあげると、江戸時代に磁石はありました。根拠は何かというと、歌舞伎の中で磁石が出てくるからです。

歌舞伎十八番に「毛抜(けぬき)」というお芝居があります。毛抜きとは、棘(とげ)などが皮膚に刺さったときに、これを抜くために使うあのU字型の金属製道具です。

「毛抜」の筋書きは、ざっと以下の通りです。「荒事」らしく稚気溢れる芝居です。

"小野春道"の息女"錦の前"(お姫さまです)と、"文屋豊秀(ふんやのとよひで)"とは婚約していたが、姫が病気だということで婚儀が伸び伸びになっていた。そこで文屋豊秀の家来"粂寺弾正(くめでらだんじょう)"(主人公です)が、姫の病気見舞いを兼ねて小野春道館に様子を伺いに参上する。
 
 

姫に謁見すると、目の前で髪の毛が逆立つ奇病を見せ付けられる。弾正が別室で、毛抜きで髭を抜きながら休憩していると、驚くべきか毛抜きが逆立っている。銀製の煙管(きせる)は踊らず、鉄製の小柄(こづか)は踊っている。総ての事情を悟った弾正は、再び姫に謁見し、姫の髪の毛が逆立つのを見るや、長槍を取り出し、天井裏を突くと、大きな磁石を持った曲者(くせもの)がどうっと落ちてくる。

すべては悪家老の陰謀で、姫のかんざしは鉄製のものにすりかえられていた為、髪の毛が逆立っていたわけ。悪者は退治され、めでたしめでたしとなって終わり。

江戸時代に磁石はあったか?
 
  まことに馬鹿馬鹿しい限りの芝居ですが、またとてもおおらかな気分にさせてくれる芝居でもあります。弾正が使う毛抜きは、50cmもあろうかという巨大なものです。

弾正が別室で休憩している間に、現れた若衆に後ろから抱きついて拒絶されるや、客席に向かって「近頃、面目次第もござりませぬ」といって謝ったり、また茶を運んできた腰元にも、ちょっかいをだしてスカンを食うと「てんと、これで2杯ふられた」と言って、大いに客席を笑わせたりします。悪人どもを退治しての帰り、花道の引っ込みで客席に向かって「身にあまる大役もどうやら勤まりました」と挨拶したり、この"粂寺弾正"という男、荒事のヒーローですが、やや変態気味の両刀使いでもあり、でもどこか愛敬のある憎めないキャラクターなのです。

ここにも「荒事は子供心で」という口伝が生きています。

 
   
back おはなしメニュー next