かぶきのおはなし  
  51.隈取り  
 
歌舞伎の化粧法に「隈取り(くまどり)」というのがあります。
初世市川団十郎(1660−1704)が「荒事」芸を創始するにあたって、「隈取り」をしたのが始まりであるとされ、その後、2世市川団十郎(1688−1758)や山中平九郎(やまなかへいくろう)(1642−1724)などの役者たちが、様々に工夫を凝らして今日のような「隈取り」の化粧法が確立されてきたのだと言われております。

この「隈取り」ですが、もともとは「荒事」芸のときにのみ、用いられた化粧法ですが、今日では時代物一般で用いられているようです。

中国の京劇でも「臉譜(れんぷ)」という顔面化粧法がありますが、これはもともと「面」をつけていたのを直接顔面に塗るようになったもので、歌舞伎の「隈取り」とは根本的に発想が違います。

即ち、「隈」は、「塗る」ものではなくて「取る」ものであるということです。吉田兼好の徒然草に「月は、隈なきをのみ見るものかは」という箇所があるのですが、もともと「隈」とは陰影のこと、「隈」を「取る」というのは、顔面の筋肉や血管の筋に陰影をつける、という意味で、あくまで「顔」の表情を表現しようというものです。「面」の代わりに「顔」を塗る京劇の「臉譜」とは自ずから異質のものなのです。

何やら難しくなりそうなので、もう止めますが、要するに登場人物の性格や顔の表情を誇張して表現しようというのが、「隈取り」です。

さてこの「隈取り」に使う色は、基本的に3種類しかありません。「赤」と「藍(あい)」と「茶」(正確には、代赭(たいしゃ)と言います)の3種類です。

 
 
まず「赤」ですが、これは「正義」、「勇気」を表わします。筋肉の盛り上がり、血管(熱血)の高潮を表わします。
代表的なのが「筋隈(すじぐま)」、「火焔隈(かえんぐま)」、「むきみ隈」などで、具体的な芝居の役では、順に「暫(しばらく)」の"鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)"、「義経千本桜−鳥居前」の"佐藤忠信(さとうただのぶ)"、「助六由縁江戸桜」の"花川戸助六(はなかわどすけろく)"です。
隈取り
 
 
次に「藍」ですが、これは「邪悪」、「奸侫(かんねい)」、「非道」を表わします。悪人です。代表的なものに「公家悪(くげあく)」という「隈取り」がありますが、天下を狙う大悪人の「隈」です。「菅原伝授手習鑑−車引」の"時平(しへい)"や「暫」の"清原武衡(きよはらたけひら)"などがあります。

最後に「茶」(代赭)ですが、これは化生、魔物、妖怪などの「隈」です。「代赭隈」と言いますが「茨木」や「土蜘」の"妖怪"はこれです。 ここで注が2つあります。第一点は、「隈」は、顔だけではなく、腹や足などでも取ります。筋肉のあるところ、血管のあるところには「隈」を取ります。「暫」の"腹出し奴"は、オナカに「隈」を取っています。

二つ目は、同じ芝居の中の同じ人物でも、登場する場面によって「隈取り」の仕方が変わるということです。場面、場面に応じて表情が変わる訳ですから「隈取り」も変わるのです。「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」の"和藤内(わとうない)"は、3種類の「隈取り」で登場するのです。まず鴫蛤(しぎはまぐり)の場では「むきみ隈」、次の「千里ケ竹」の場で「一本隈」になり、最後に紅流し(べにながし)の場では「筋隈」になるという具合です。歌舞伎は、都合よく出来ているのです。

余談ですが、「公家悪」隈が得意で、悪役を得意とした山中平九郎が、自宅で怨霊の隈取りの工夫をしていたときに、何も知らないで、こっそり中を覗いた奥方が、化け物が出たといって階段から転げ落ちて失神したという、嘘のような本当のような逸話が残っております。

 
   
back おはなしメニュー next