かぶきのおはなし  
  46.鶴屋南北  
 
日本史の教科書などに、文化・文政期の歌舞伎狂言作者として「鶴屋南北(つるやなんぼく)」と言う名前が出てきますので、聞いたことがある名前だと思いますが、私たちが普通に「鶴屋南北」と言えば、「4世鶴屋南北」(1755−1829)のことを指します。

というのは、この「鶴屋南北」という人物は、初世から5世までの人がいて、普通に「鶴屋南北」といえば「4世鶴屋南北」のことと言われるほど、4世が偉大な作者であったということです。また、特に他の4人の南北と区別する意味で、「大南北」と言う場合もあります。なお、初世から3世までは、狂言作者ではなく、歌舞伎役者です。

さて、この「4世鶴屋南北」ですが、その作品は、生世話(きぜわ)といわれるほど、写実性に溢れた作品ですが、その写実もどちらかといえば、社会の底辺に生きる人々の、どろどろとした生活を生々しく描いているところに、大きな特徴があります。

もう少し言葉を変えて言うならば、南北の世界は、残酷・非情・狂気・怨念(エログロナンセンス)の支配する怪奇の世界で、その凄まじさは見る者にとって、強烈な迫力で迫ってくるのです。濡れ場や殺し場、責め場などの官能的シーンが、舞台の上で大胆に繰り広げられていくのです。また幽霊や怨霊などのドロドロが多く登場するのも特徴です。

時あたかも、江戸の町民文化の爛熟期であった訳ですが、退廃的な社会世相を反映してか、南北の作品は大衆から圧倒的支持を受けたのです。また、大道具や小道具などの仕掛け物や、鬘(かつら)などにも新しい工夫を凝らすなど、奇抜な趣向で見る者を引きつけたのです。

 
 
代表作としては、「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」、「時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)」、「桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)」、「東海道四谷怪談」、「隅田川花御所染(すみだがわはなもごしょぞめ)」、「杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)」、「累(かさね)」などがあります。

なお、歌舞伎の役柄のうち、「色悪(いろあく)」、「悪婆(あくば)」という役柄を完成させたのは、この「4世鶴屋南北」だと言われています。
鶴屋南北:「東海道四谷怪談」
 
   
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