かぶきのおはなし  
  42.新歌舞伎  
 
前項で述べた「演劇改良運動」の評価はさておき、この運動によって刺激を受けた文学者の中から、新しい歌舞伎を創造しようという、別の流れが出てきました。
これまで、江戸時代から明治20年代ぐらいまでは、歌舞伎狂言は、幕内の(つまり芝居の世界に専属の)狂言作者によって、演じる役者を想定しながら(演じる役者のニン、つまり芸風に合わせて)書き下ろされるものというのが、常識でした。それを、劇場外の作家(主として文学者)が脚本を書くというものです。歌舞伎の伝統的作劇法を踏まえつつ、近代的な思想や人間像を、新しく表現しようとしたもので、この流れは明治26年の河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の死以降決定的となり、こんにちまで及んでいます。

これを「新歌舞伎」と呼びます。そして、それ以前の作品を「古典」と呼んで区別しています。

 
 
この「新歌舞伎」に先鞭を付けたのが、明治27年に発表された坪内逍遥(1859-1935)の「桐一葉(きりひとは)」です。(歌舞伎での初演は、明治37年です。)そして、それ以降、実に多くの文学者によって戯曲が書き下ろされ、歌舞伎の舞台で上演されました。

以下に主な作者と、その作品名をあげましょう。
新歌舞伎
 
  坪内逍遥(1859−1935)
「桐一葉」、「沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」、「お夏狂乱」

岡本綺堂(1872−1939)
「修禅寺物語(しゅぜんじものがたり)」、「鳥辺山心中」、「番町皿屋敷」、「小栗栖の長兵衛(おぐるすのちょうべえ)」

真山青果(1878−1948)
「元禄忠臣蔵」、「江戸城総攻め」、「荒川の佐吉」、「将軍頼家」

池田大伍(1885−1942)
「名月八幡祭」、「男伊達ばやり」、「西郷と豚姫」

長谷川伸(1884−1963)
「一本刀土俵入り」、「暗闇の丑松(くらやみのうしまつ)」、「瞼の母(まぶたのはは)」
 
   
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