かぶきのおはなし  
  38.縦糸と横糸  
 
歌舞伎狂言は、よく精巧な織物に例えられます。「縦糸(たていと)」と「横糸」が、織り成す芸術品という意味です。

ここで縦糸というのは、「歴史的な事実」つまり史実のことを指します。また、「横糸」というのは、狂言作者の空想になる味付け(ストーリー)ということになります。

そして歌舞伎狂言の面白さ、出来・不出来というのは、実にこの「横糸」の出来・不出来に掛かっていると言っても過言ではありません。誰もが知っている歴史上の事実(素材)に、程よくスパイスを効かせ、美味しい料理に仕立て上げる。これが狂言作者の力量なのです。こんにち、私たちが見ることのできる名作狂言といわれるものは、いずれもこの「縦糸」と「横糸」が見事に調和した世界をお芝居の中で作りあげています。

一例を挙げます。3大義太夫狂言の一つ「義経千本桜」です。

「縦糸」はもう皆さんご存知の通りです。平家の全盛栄華 → 木曽義仲の挙兵 → 清盛の死 → 頼朝挙兵 → 義仲敗死 → 義経の活躍(一の谷、屋島、壇ノ浦) → 平家滅亡 → 頼朝・義経の不和 → 義経の死 ------ とまあ書き連ねてみるとこんな具合でしょうか。

この「縦糸」に登場する人物は、平清盛だとか、木曽義仲だとか源頼朝、源義経などみんな源平の武将ばかりです。これでは芝居は堅苦しいだけで、面白くもなんともありません。
 
 
縦糸と横糸 そこで3本の「横糸」が入ります。このお芝居をご覧になった方ならおわかりでしょうが、1本目が「狐忠信(きつねただのぶ)」(狐が義経の家来の佐藤忠信に化けて出てくるところから、この名がある)、2本目が「碇知盛(いかりとももり)」(壇ノ浦で死んだ筈の平知盛が実は生きていて、最後に碇を体に巻きつけたまま海に飛び込んで死ぬからこの名がある)、そして3本目が「いがみの権太」(大和の国下市村のすし屋の権太という名前の不良息子)なのです。

 
 
初めて歌舞伎を見る方は、この「横糸」に戸惑ってしまいますが、これが歌舞伎というものだと割り切って見ることが大切です。

「義経千本桜」の主人公は、義経でもなければ、清盛でもない。勿論、頼朝でもなく武蔵坊弁慶や静御前でもない。主人公は、「狐」であり、死んだ筈の「知盛」であり、チンピラの「権太」なのです。

なお、外題(げだい)の「義経千本桜」の「千本」には、四段目「吉野山」の「一目千本」の桜に、京都伏見稲荷(=狐)の有名な朱の「千本鳥居」の意が掛けられており、また「義経」は「ギツネ」(=狐)と発音できることから、外題にも「狐」が主人公であることが暗示されているという説もあるようです。

ともあれ、この3本の「横糸」が「縦糸」の中に、上手く織り込まれ、芝居を面白くしているのです。
 
   
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