かぶきのおはなし  
  37.歌舞伎舞踊の音楽  
 
歌舞伎舞踊(所作事)に、音楽は欠かせません。舞台の出来・不出来を左右するのも、音楽次第といわれています。

この歌舞伎舞踊に欠かせない音楽(勿論、三味線を主楽器とする邦楽のことです)にも色々な流派があるようですが、よく登場するのが「長唄(ながうた)」と「常磐津(ときわず)」と「清元(きよもと)」です。

 
 
そこで、この3つの音楽のことを書こうと思うのですが、残念ながら私も素人の域を出ないので、皆さんにご説明できるほどの知識を持ち合わせておりません。

ここのところは、前にも書いたのですが、歌舞伎は理屈ではなく五感(感性といってもよいでしょう)で感じるものなので、沢山の舞台をご覧になって自分の感覚でとらえられるのが良いでしょう。
歌舞伎舞踊の音楽
 
 
最初に「長唄」ですが、ご覧になってお分かりのように、舞台中央に雛壇を設け、唄・三味線・囃子(はやし)連中がズラリと居並ぶ形で演奏される、最も人数編成の大きい邦楽です。囃子連中が舞台へ出て演奏するのは、この「長唄」だけで、これを「出囃子(でばやし)」と言います。軽快な囃子のリズム感が特徴で、語り(浄瑠璃)より音楽性が勝っているようです。
作品としては、「京鹿子娘道成寺」、「勧進帳」などがあります。

次に「常磐津」ですが、延享四年(1747)初代常磐津文字太夫(ときわずもじだゆう)(1709−1781)に始まる江戸浄瑠璃ですが、上方で大流行した豊後節(ぶんごぶし)の流れをひいているものだそうです。演奏者は、柿茶色の肩衣(裃)を着て舞台にでるのが原則で、その位置も舞台下手に山台(やまだい)を設けて、その上で演奏するのがこれも原則だそうです。時代物に優れ、曲風は義太夫節に近いといわれております。
主な作品には、「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」、「戻駕(もどりかご)」などがあります。

最後に「清元」ですが、これも豊後節を源流とする富本節から、更に分かれてできた江戸浄瑠璃で、文化11年(1814)初代清元延寿太夫(きよもとえんじゅだゆう)(1777−1825)が樹立したといわれる、もっとも新しい流派です。文化・文政といえば江戸の町人文化のまさに爛熟期です。舞台では、深い緑色の肩衣を着て、上手山台の上で演奏するのを原則としており、これはちょうど「常磐津」とは、反対の位置で演奏することになります。全体として高音域にあるのが特徴で、軽妙洒脱(けいみょうしゃだつ)、粋(いき)で派手な曲調であるといわれています。
主な作品には、「忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)」、「隅田川」、「落人(おちうど)」などがあります

 
   
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