26.歌舞伎役者に外国人はいるか? | ||||||
日本の国技である大相撲の世界でも、最近は「曙」だとか「武蔵丸」だとか、外国人力士の進出は目覚しいものがありますが、伝統芸能である歌舞伎の世界はどうなのでしょう。 常識的に考えて、言葉の壁は厚く、長唄や義太夫の理解には相当の困難が伴うでしょうし、だいいち着物が似合うか、踊りが出来るか----ということを併せ考えるに、ひとまず答えは「否」とならざるを得ません。 ところが、明治生まれで、昭和の戦前まで大活躍をした外国人役者がいました。 その名は、15世市村羽左衛門(いちむらうざえもん)(1874−1945)です。 えっ!と、驚かれることと思います。そういう私自身、最近になってあるお芝居の本を読んでいて知ったばかりです。 正確に言うと、彼は国籍は日本ですがハーフだということです。父は、明治政府の外務顧問として来日したフランス系アメリカ人のル・ジャンドル将軍。軍人です。そして母は日本人の芸者だといいます。3歳の時に、市村家に養子に出され、そのまま役者になったのだそうです。 市村羽左衛門という名跡は、もともとは市村座の座元(興行主)の名跡ですが、現17世市村羽左衛門が人間国宝になっているのをみても分かるように、大変に由緒ある重たい名跡です。 15世市村羽左衛門は、その偉大な名跡を汚すことは勿論なかっただけでなく、日本人ばなれした(それもその筈、半分は日本人ではないのだから)端正な顔立ちと、憂いを含んだ涼やかな目元から、当時大変な人気役者だったそうです。また口跡にも優れていたそうです。 当たり役としては「近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)」の"盛綱(もりつな)"とか「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」の"実盛(さねもり)"、「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」の"与三郎"などであったそうです。みな恰好いい二枚目系の役ばかりです。 |
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