かぶきのおはなし  
  25.江戸と上方  
 
"出雲のお国"に始まった遊女歌舞伎が、時代を経てほぼ現代のような形になったのは、元禄の頃からだと言われていますが、江戸と上方(京都・大坂)では、歌舞伎の演出・型において顕著な違いをみせて、今日まで発展してきました。

 
 
江戸と上方 江戸は、徳川幕府が切り開いたばかりの新興都市。武士階級が中心の社会で、人口の過半が男性であるという。当然に人々の気は荒い。喧嘩沙汰も日常茶飯事です。

一方の上方。京都は千年の歴史を誇る古都です。公家の勢力は衰え、町人中心の歴史と伝統の町です。大坂も商人の町。金には関心があるが、喧嘩は御免という土地柄です。
 
  こうした社会基盤の違いを背景に、江戸の「荒事(あらごと)」、上方の「和事(わごと)」というまったく異なった演出・型が形成されていきました。

江戸において、初世市川団十郎(1660−1704)が創設したという荒事芸は、赤い隈取り(くまどり)をした超人的な強さを持った正義の味方が、スーパーマン的活躍で悪人どもをやっつけるという、まことに単純だが明快な筋書きです。主人公の荒々しい隈取りと、ド派手な衣装でもって大衆を引き付けていきました。

これに対して、初世坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)(1647−1709)が始めたという和事芸に登場する人物は、高貴な若殿や金持の息子です。当然に二枚目で女にもてる。その彼らが、義理や色恋に弄ばれて卑しい姿に身をやつしていくという(この役どころを「やつし」といいます。)ものです。

そしてそこから更に発展して、切羽(せっぱ)詰まって心中にまで発展していくという決まりきったパターンが生まれました。まあ、上方歌舞伎の特徴を義理や金・色恋が絡んだ心中物と思っても、そんなに間違いはないでしょう。

わかり易く説明を試みれば、以上です。そして両者の共通項を挙げるとすれば、筋書きがワンパターンで単純だというところでしょうか。
 
   
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