かぶきのおはなし  
  17.控櫓(ひかえやぐら)  
 

江戸時代、「櫓」が幕府の許可を受けた「歌舞伎興行権」のようなものであることは、前に述べました。
そして、江戸時代を通じて「中村座」、「市村座」、「守田座」のいわゆる江戸三座が、独占的にこの興行権を取得していました。 「櫓」のない劇場は「宮地芝居(みやちしばい)」と呼ばれ、「櫓」を持つ大芝居に比して小芝居として、様々な面で差別的扱いを受けていたのです。

控櫓
 
  サッカー日本リーグで言えば、「J2」以下。小屋掛けで、観客席に屋根をつけることは許されず、回り舞台禁止、引幕禁止----といった具合です。いつの時代も許認可権を持ったお上には、逆らえないということでしょうか。

さてこの「櫓」。その名の通り、芝居小屋や相撲の興行場所に付属して作られた構築物ですが、歌舞伎興行で今に残っているのは、顔見世興行時(毎年11月)の東京の歌舞伎座と京都の南座だけです。それも多分、当時のものとは相当に違っている筈で、例えば「櫓太鼓」などはもう置いてありません。(相撲では、今なお櫓太鼓があります)。
ちょうど小さな「やぐら炬燵」のような形をしていて、座の定紋(じょうもん、歌舞伎座であれば鳳凰、ロゴマークだと思えばよい)を染め抜いた幕で囲い、 2本の梵天(ぼんてん、幣束のこと)が空に向かって立てられています。歌舞伎座も南座も、正面 玄関の真上、大屋根の下に「櫓」が掲げられます。歌舞伎座の「櫓」の上には、5本の槍が並べられております。京都南座も5本の槍が並べてありますが、秀吉の家来石田三成以下5奉行の槍を意味しているそうです。この「櫓」、今度、芝居を見に行く時、覚えておいて是非ご覧になって下さい。歌舞伎座では、11月の顔見世興行の時だけです。

「控櫓」のことですが、この三座が資金繰りが悪いとか、劇場改装中であるとか、何らかの事情で興行が出来ないときに、代わりに興行するのが「控櫓」で、三座それぞれに、あらかじめ決められておりました。要するに、ピンチヒッターです。
「中村座」は「都座」、「市村座」は「桐座」、そして「守田座」は「河原崎座」が「控櫓(ひかえやぐら)」です。「控櫓」に対して、江戸三座のほうを「本櫓(ほんやぐら)」あるいは「元櫓(もとやぐら)」と呼びました。
 
   
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