かぶきのおはなし  
  14.歌舞伎は難しい?  
 
これまでみてきたように、私たちが普段なにげなく使っている言葉のなかに、歌舞伎を語源とする言葉が、いかに多いかおわかり頂けたと思います。このことは、取りも直さず、江戸時代、文字を書くことはおろか、読むことですら満足に出来ない、いわば無学文盲の庶民のなかに歌舞伎が生活の一部として、いかに定着していたかを示すものです。

能・狂言は上流社会の娯楽・演劇でしたが、歌舞伎は庶民の娯楽でした。「伊勢屋の旦那」や長屋の「大家さん」だけでなく、気の良い「熊さん」や「八っつぁん」だって、「与太郎」だって芝居は大好きだったのです。そして歌舞伎はこれらの人々にとって、情報収集の場であり、流行の発信源だったのです。

テレビもラジオも映画も無い時代です。週刊誌もありません。「瓦版」だってそもそも文字の読める人が、少なかった時代ですから、限界があります。ましてやインターネットなど、当時の人々にとっては「お釈迦様でも気が付くめぇ」というところでしょう。
私がここで言いたいことは、無学文盲の「熊さん」や「八っつぁん」が楽しんだ歌舞伎が、現代の最高教育を受けた私達に分からない筈がないということです。
歌舞伎座に行くと、よく外国人の観客を目にします。言葉の分からない外国人が熱心に鑑賞しています。時として、日本の若い人よりも多く目につくくらいです。せっかく目の前に素晴らしい伝統芸能がありながら、日本人の若者が「歌舞伎は難しいもの」として、そっぽを向いているのは、残念なことです。
きっとそれは、頭が良すぎるからだと思います。頭が良すぎて、物事を理詰めに、理屈っぽく考えるからでしょう。

 
 


歌舞伎は難しい?

歌舞伎ファンには失礼ながら、歌舞伎はむしろ頭の悪い人(本当に失礼)向きの娯楽なのかも知れません。頭の中は空っぽでも、美しいものは美しい、格好ぇぇものは格好ぇぇ、楽しいものは楽しい----と素直に感じる「感性」だけがあれば良いのです。
役者のせりふが難解で意味が良く分からない、出語りの義太夫に至ってはチンプンカンプンだ。筋書きには無理がある----。
 
 
歌舞伎を好きになるコツは、いくつかあります。人によって考え方の違いはあるのでしょうが、私が最も強調したいのは、あまり理屈っぽく考えないで、頭の中を空っぽにして見ることです。イタリアが生んだ巨匠、あのF・フェリーニの映画だって頭を空っぽにして見ないと難解なだけです。分からないせりふがあっても余り深く考えないで「何やらぶつぶつ喋っているなあ」とか、難解な義太夫なんかは「あんなのはBGMだから雰囲気が分かれば良い」とか、そんな具合に開き直って見ることが大事です。

さあ、肩の力を抜いて、歌舞伎を見てみましょう。そして早く好きな役者を見つけましょう。
 
   
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