かぶきのおはなし  
  13.花道  
 
歌舞伎の舞台機構は、花道ぬきには語れません。花道こそは、世界の演劇界に類をみない歌舞伎独特の舞台機構なのです。

 
 


劇場に入ればすぐ目に入るこの花道、舞台下手寄りから直角に、客席後方に真っ直ぐ伸びて、揚幕(あげまく)から楽屋に消えます。
これが花道ですが、この花道は芝居の中で、色々な役割をはたします。ある時は「道」になり、ある時は「長い廊下」になり、そしてまたある時は「川」や「海」になったり、場面 に応じていかようにも利用されるだけでなく、人気役者と観客とが間近に触れあう機会を演出するという、歌舞伎の演出には欠かすことの出来ない、まことにすぐれものの花道です。実際のところ、花道の内側の席に座ると、役者をすぐ近くから見ることが出来て嬉しいものです。

花道
 
 
能・舞台にも「橋掛かり(はしがかり)」という、花道に似た機構がありますが、能の「橋掛かり」は、人間界と幽冥界との「橋掛かり=接点」という意味であり、歌舞伎の花道が、むしろ役者と観客の接点を意識して取り入れられたのとは、全く発想を異にしております。
この花道が考案され、現在のように劇場の常設機構になったのは、正確には分かりませんが、だいたい享保10年代(1725〜1735)の頃だと言われています。
「花道」という名の由来は、役者にハナ(祝儀)を送る道だとか、役者が花を飾って(華麗に装って)出入りする道だとか、諸説があるようです。

さて、この花道ですが、お芝居によってはもう一本、舞台上手から客席を通って楽屋まで作られることがあります。これを「両花道」と呼び、この場合、本来の常設花道を「本花道」、臨時仮設の花道を「仮花道」と呼びます。
両花道を使ってするお芝居として有名なものに、「新版野崎村(しんぱんのざきむら)」(通 称、お染・久松)や「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)吉野川の段」などがあります。 そして「新版野崎村」では、幕切れに本花道が「川」になり、仮花道が「土手」になって芝居が進行して行きます。
また「妹背山婦女庭訓」では、両花道が吉野川の土手で、その間(つまり客席)が吉野川の流れに見立てられ、この吉野川の急流が上手の背山(せやま)と下手の妹山(いもやま)を隔てており、恋人同士、仲の悪い両家を隔てている、という設定になっているのです。近松半二(1725−1783)の名作です。
 
   
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