かぶきのおはなし  
  10.梨園(りえん)  
 
どの世界でも世代交代の波は、否応なくやって来ます。そうした時、古き良き時代を懐かしむのも結構ですが、やはり若き世代の台頭を喜び、未来への希望を夢見るというのが、プラス思考というものなのでしょう。

歌舞伎の世界も、最近とみに世代の移り変わりを感じます。戦後の歌舞伎界を支えてきた名優17世中村勘三郎(なかむらかんざぶろう)が昭和63年に亡くなった後、2世尾上松緑(おのえしょうろく)が平成元年に没し、次いで13世 片岡仁左衛門、7世尾上梅幸(おのえばいこう)と人間国宝達がこの世を去っていきました。

若い世代の台頭ということで云えば、「新3之助」といわれる、7世市川新之助 (いちかわしんのすけ)(成田屋)、5世尾上菊之助(おのえきくのすけ)(音羽屋)、2世尾上辰之助(おのえたつのすけ)(音羽屋)の三羽烏がめきめき実力をつけてきました。
ついこの間まで、若手だった5世中村勘九郎(なかむらかんくろう)、5世坂東八十助(ばんどうやそすけ)などはもう中堅の仲間入りです。

親から子へ、子から孫へと家の芸を伝承するという歌舞伎の世界は、また身分制度の厳しい社会で、名門の出でないとどんなに修行を積んでも、主役級の役は貰えず、一生下積みの大部屋俳優であらねばなりません。まさに厳とした門閥制度のゆるぎない世界です。

名門の出であれば、よほどのことがない限り、将来の地位は約束されるのですが、幼年の頃より(3歳くらいから)、舞踊、三味線、義太夫(ぎだゆう)---等々 稽古事の連続で子供だといって遊ぶ暇などないというのが、彼らの宿命です。
そういう社会であればこそ、この江戸時代から続く歌舞伎の「芸」、「型」、「伝統」といったものが、絶えることなく現代に継承されてきたのでしょう。


歌舞伎俳優という特殊な社会を「梨園(りえん)」と言います。「梨園の貴公子」などと、この世界の名門の出の子供をさして、そう呼びます。雅(みや)びた言い方です。

 
 


語源は、中国・唐の時代に溯ります。あの白居易(772−846)の「長恨歌(ちょうごんか)」に出てくる玄宗皇帝、絶世の美女楊貴妃(719−756)の愛に溺(おぼ)れ国を滅ぼしたという、あの玄宗皇帝(685−762)は自らも歌舞音曲の才を誇り、宮廷内で多くの弟子達に楽(がく)を教えました。そして、その教えた場所が、なんと宮廷の梨畑だったのです。

梨園
 
   
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