江戸堺町に住んでいた岡崎屋勘六(1746−1805)という書道指南が、安永8年(1779)、中村座の為に書いたのが始まりだと言われています。この岡崎屋勘六の号を「勘亭」というので、「勘亭流」という流派になっていったのです。
さて、この独特の書体の文字には、いろんな意味が込められていると言われています。
まず第一は、内に内にと内へ丸く曲げて書く。これは、観客を劇場の内へ呼び込むという意だそうです。内側へ誘い込むのです。
そして第二は、用紙の白いところが殆どないくらいに、隙間なく書き込むこと。客席に隙間のないように、客席が人で埋まって満員であること(大入り満員)を願っているという訳です。
岡崎屋勘六が、本当にそう願って考案したものか、はたまた後世の識者共が勝手に講釈を巡らしたものか、本当のところは分かりません。
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