かぶきのおはなし  
  6.千両役者  
 
「大根役者」の反対です。芸に優れた名優、立派で人気も高く一座の中心となる役者のことを「千両役者」と呼びます。 江戸時代では、役者は中村座や市村座、守田座などの興行元と、1年単位 で専属の出演契約を結んでいました。 毎年11月から始まって、翌年10月迄の1年契約です。新年度が4月からではなく、11月から始まるというのが歌舞伎の世界の慣行です。ですから、今日になっても、歌舞伎座では11月を「顔見世興行」として、特別 の意味合いを持たせています。 プロ野球の契約更改ではないのですが、毎年、年俸いくらで契約するかということになり、当然良い役者、客を取れる役者の年俸は高くなります。そして、年俸1千両の役者のことを「千両役者」と称したのが、この言葉の始まりです。 年俸1千両の高給を稼げる役者=良い役者=千両役者という図式です。

千両というのは、現代のお金にして約8000万円です。 江戸時代とて、経済原則に支配され、インフレは進んだことでしょうから、貨幣価値が下がった幕末には、千両役者は沢山でたのでしょうが、江戸も初期の頃には、数えるほどしかいなかったようです。

では誰が最初の千両役者だったのか。正確には、確定申告制度のない時代ですから分かりませんが、正徳・享保期(1711−1736)の初世芳沢(よしざわ)あやめ(1673−1729)(女形芸を確立したといわれる役者)や2世市川団十郎(1688−1757)(荒事芸を確立)などが、最初の千両役者だと言われています。
舞台中央で、2人の名優が時には恋人同士、時には敵同士で名演技をしていると、大向こうから「よぉっ、ご両人!」と掛け声がかかります。この「ご両人」。 実は、千両役者が2人いるという意を含んでいます。

「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」という常磐津(ときわず)の歌舞伎舞踊があります。この芝居では、"小野小町"、"大伴黒主(おおとものくろぬし)"、"宗貞(むねさだ)"という3名の登場人物がありますが、この常磐津の大曲を演じるには相当の技量 なくしては出来ないということで、3名いずれも千両役者で配役を固めます。
3人が並んで、見得を切った時、大向こうから声が掛かります。 「よぉっ、3千両っ!」。

余談ですが「他人の利益の上前を先にかすめ取る」こと、「上前をはねる」ことを「ピンはね」と言います。江戸時代では、座元から役者に給金が直接支払われることはなく、それは必ず奥役(おくやく、役者のマネージャーでもあり、興行主の下で楽屋内を取り仕切ったプロデューサー代理でもある)を通 じて支払われたそうです。
この奥役が給金の1割(ピン)程度を手数料としてまず自分のふところへ入れ(はね)、それから残金が役者に交付されるのが慣習であったところからきた言葉です。
 
 
座元としては、特に大物役者の年間出演料の高騰を防ぐ意味から、その年俸が公にならないようにという思惑があったようです。一人ずつ奥役が配され役者との契約交渉一切を取り仕切ったそうです。 千両役者
 
   
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