かぶきのおはなし  
  22.屋号  
 


「大向こう」からのかけ声は、役者の「屋号(やごう)」を呼ぶのが、一般的だと申し上げましたが、ではこの「屋号」とは何のことでしょう。

江戸時代は、武士を頂点とするいわゆる「士農工商」の身分制度が、きっちりと確立された封建社会です。そして、歌舞伎役者は、その身分制度の最下位である「商」よりも、もっと下の身分という扱いを受けていたのです。

 

屋号
 
 
今でこそ歌舞伎役者の中には、重要無形文化財(人間国宝)に指定された者が、何人かいますが、当時にあってはその出生から「河原乞食」だとされていました。
一般庶民も苗字は許されていないので、もちろん、苗字は許されません。「市川団十郎」といっても、「市川」が苗字という訳ではなく、単に「市川団十郎」という芸名に過ぎません。 しかし、歌舞伎が大衆芸能として庶民の中に深く根をおろしはじめると、それでは「あまりに可哀そう」ということになります。何しろ市川団十郎は格好良い。人気絶頂の花形役者で、庶民の憧れの的です。正月に芝居を見て団十郎に睨まれると、その一年は無病息災であると信じられた、その団十郎です。

こうして生まれたのが「屋号」です。苗字ではない。でも苗字に似ている。歌舞伎役者に対する尊敬の念がもたらした「庶民の知恵」が「屋号」なのです。 「屋号」は、役者の出身地だとか、元の商売の店名などから取ったものが多いと言われています。
因みに、市川団十郎の屋号は「成田屋」。千葉県成田市にある成田山新勝寺から取ったと言われています。不動明王への厚い信仰心によるものだそうです。
また、現12世市川団十郎の本名は「堀越夏雄」です。
 
   
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