かぶきのおはなし  
  1. 傾き者  
 
「傾き者」と書いて「かぶきもの」と読みます。「かたむきもの」ではありません。 この「傾く(かぶく)」という言葉の意味は、奇抜な格好・身なりをする、並外れたもの、常軌を逸するという意味です。そしてそういった放蕩無頼(ほうとうぶらい)、異端あるいは異装の服装・髪型・行動をする者のことを「傾き者(かぶきもの)」と呼びました。

少し昔で言えば、ジュリーこと沢田研二、今で言えば美川憲一といったところでしょうか。今でこそ、ごく普通 に見かけるようになってしまいましたが、髪の色を変えたり、体中にピアスをあけたり、というのも、まあ「かぶく」という部類に入るのかも知れません。


これは何も男性に限ったことではありません。私に言わせれば、あのだらしなく見えるルーズソックスも、昔なら花魁(おいらん)しか履いてなかったという高さ20cmもあろうかという厚底靴も、古い世代の私などから見れば、やはり「傾き者」のすることです。

さて、前置きが長くなりましたが、この「傾く」というのが「歌舞伎」の語源なのです。「かぶく」格好をする者が「かぶき者」で、それが「歌舞伎者」になっていったのです。


 
 

"出雲のお国"という名前の女流ダンサーが、京都は北野神社の境内で小屋がけして、当時流行していた"ややこ踊り"とかいう怪しげな踊りを踊ったのが、今日の歌舞伎の始まりだとされていますが、この時のお国は男装をしていたと言われています。当時としては、女が男装をするということなど前代未聞の出来事です。まさに傾き者の風俗で官能的な踊りを踊り、当時の貴賎大衆から熱狂的な支持を受けたとされています。
傾き者
 
 
こうして始まった歌舞伎は、江戸時代になって風紀を紊乱(びんらん)するものとして何度もお上の手入れを受けながら、今日に至ったのですが、実際のところ初めの頃は、現代でいうところの風俗営業(あるいは売春)に近いものであったというのは本当のようで、最終的に役者すべてが男でなければならないということになったのです。

「歌舞伎」というのは当て字です。 「春」を売り物にしていた初期の「かぶき」が、本格的に歌(音楽)と舞(舞踊)と伎(技芸、物真似)を売り物とするようになったのは、元禄期以降のことで、「かぶき」というのに「歌舞伎」という字が使われるようになったのは、江戸末期から明治初期の頃だと言われています。江戸時代では、「歌舞妓」と書くのが一般的だったようです。

それにしても、この「歌舞伎」という言葉、まさに言い得て妙、誰が最初に使ったのか、素晴らしい表現だと感心させられてしまいます。
 
   
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